娘の子どもでいようとする母親とその娘たち「ウチ、断捨離しました!」感想

 1月4日に放送された「ウチ、“断捨離”しました! 史上最強12部屋!“母の執着”で埋もれた家」がすごかったです。TVerで11日まで見ることができます。
https://tver.jp/corner/f0064124

 この番組はいつもすごいので、私にとって余力がある時にだけ視聴できる番組です。今回は特に、こういったすごい内容のものを50分足らずで無料でお気軽に見せてくれるテレビというメディアに感謝したい… って気持ちになりました。


◆1月4日放送回の内容◆

 見逃しちゃった人のために書き起こしました↓

 もともと片付けが苦手で物への執着がすごくて、実家(12部屋ある一戸建て)を不用品で埋め尽くした80歳の母。それを断捨離したいと申し込んだのは娘の由美さん(仮名、54歳)。
 由美さんは2人姉妹。由美さんの姉は5年前に断捨離のことで母と衝突して絶縁した。姉が実家を片付けた際、母が姉を「あれがない、捨てたでしょ」といつまでもネチネチ責めたという。(「母は捨てられたことに激怒した末、ついには絶縁してしまったのです」とナレーション)
 それまで姉も孫を連れて実家によく遊びに来てたけど、姉と母は一切会わなくなった。
 
 由美さんは結婚して、実家の隣の県に住んでいる。実家には両親が住んでいたが、1年半前から家として機能しなくなってしまい、両親は今は別のところにマンションを借りている。
 由美さん「母が生きている間に片付けるのか、亡くなってから波風立てずに片付けるのか、選択肢は私にあるような気がしました。(自分が断捨離をせずに)両親は自分たちが建てた家を諦めたんだ、っていう父と母を見ながら過ごすのか、それとも(断捨離をして)いい家になって良かったねって(思うかどっちかの選択がある)」
 話しながら途中でウルウルと涙していた。
 由美さんは実家近くのホテルに滞在し、1週間で集中的に断捨離する。
 
 途中で由美さんが「私も姉も結構サバイバーだったんで」と言っていた。両親が教師でいつも夜が遅く、小学生の頃から自分たちでご飯を炊いて天ぷらやトンカツを揚げられるようになっていた。子どもには甘くなく厳しい家庭だった。きちんと夕飯を作ってないと母から「なんでなの?」と聞かれた。だから今も母がこわいという気持ちが残っているという。

 中盤にさしかかり由美さんは、母が昔やっていた判子を彫るセットを見つける。それは捨てないでおくことにした。それがきっかけで、やっぱり勝手に捨てていいのだろうかと迷い始める。「『娘が大事にしていたものを捨てちゃったんです。ひどいですよね』って思いながら余生を過ごして欲しくない」と涙し、断捨離を続行していいのか葛藤する。

 そこに断捨離のやましたひでこさんが登場。
やましたさん「こちらが自信持ってもっともっとやっていい。本当に大丈夫。お母さんの気持ちを損なっているんじゃないかって罪悪感みたいなの感じちゃうんだよね?」
由美さん「うしろめたくて…。片付け終わると解放感で気持ちいいなと思って帰るんですけど、ベッドに入ると『捨ててよかったのかな』と不安になる」
やましたさん「いいの大丈夫。あなたはハイパーレスキュー隊。すごいことしてる。誰もあなたのことをね、親の大事なものを捨ててるなんて誰も思わない」
 涙し、続行することを決意する由美さん。
 
 やましたさんも加わって断捨離再開。台所を片付けていると、新品の調理道具が山ほど出てきた。
やましたさん「お母さんはお菓子作りが趣味だったの? でも使われてないから趣味ではないのか」
由美さん「時間がなかったけど、『いつかは』って思ってた気持ちが…」
やましたさん「ここに現れてるね。何か作りたい作りたいって思ってるのが伝わってくるね」
ナレーション「忙しくてできなかったけど、本当は料理をお菓子を作って食べさせてあげたかった、お母さん内心思っていたのかもしれないねえ」

 断捨離は順調に進み、最終日前日。
 孫たちが描いた絵や作文をファイリングしたものを発見。母がつくったものだった。
 ゴミに埋もれて見えなかった、お父さんが気に入っていたソファも座れるようになった。でも母からは「草履は取っておいて、シュレッダーも捨てないで」と細かく物を指定する怒涛のLINEが届く。捨てちゃったかもしれない、と不安になる由美さん。でもそのあと両方見つかった。

 途中、業者や親友に手伝ってもらいながら、12部屋中11部屋をツルッツルのピッカピカに片付けた由美さん(マジですごい)。
 そしていよいよ両親が訪ねてきた。
 車を降りるなりお父さんは由美さんに「どうもありがとうね」と感謝を述べる。
ナレーション「感謝の言葉を口にした父さんとは対照的に、母さんは…無言」
 父は「片付くといい家なんだよな」とくつろぐが、由美さんが「休む?」と聞いても母は「いい」と断る。
ナレーション「大事なものがなくなっていないか気になって仕方がないみたい。家の隅々まで見て回ります」
「あの机も捨てたの?木の机だから捨てたくなかった。」
ナレーション「お母さん、すっかり機嫌を損ねてしまいました」

 そこで由美さんは、孫の絵のファイルを持ってきて、母に見せる。
「木の机は、使おうと思ってたけど使わなかったってもの。こういうのがみんなが(ちゃんと取っておいてくれてありがとうとあなたに)感謝する宝物だよ。こういうおうちになったから、みんなが集まってくれるといいなと思って」と伝える。
 そしたら母は「ありがとう。ごめんね。いろいろご苦労かけてね」と初めてねぎらいの言葉をかけた。

 スタジオに移り、やましたさんのコメント。
 「たとえば親が『私の目の黒いうちは(断捨離させない)、私が死んでから(断捨離しろ)』と頑強に主張する親世代はとても多いですよね。だからそこ(親が亡くなる時)まで(断捨離を)諦めるのか、待つのか。いやそんなことは言わずに今やるのか。それこそケースバイケースなんですよね。だけどね、やました自身はケースバイケースで終わらせたくないな。それって逃げみたいなね。ような気がするんですね。なぜなら、あの有り様は、人として尊厳を失っている有り様ですよね。ぜひね、生きている間、命ある間に、尊厳を取り戻してほしい。ていうのが一つと、その尊厳を取り戻せたからこそ、尊厳のある死に向かっていけると、私は思ってるんですね。みんなでね、サポートしていきたい。やましたが申し上げたいのはそれだけです」

 最後、由美さんのコメント。
「断捨離を父と母のためにやるって思ってたんですけど、これは自分のためだったなって感じました。(家が不用品やゴミで埋め尽くされている状態が)家族の争いの原因みたいな『母がどうしてこんな家にしちゃったんだろう』みたいなことになってたんですけど、母や父が嫌だっていう自覚はなかったと思う。私が嫌だった。この断捨離で救われたのは私。それに気が付いたらもうすごく『そうかー』と納得でした」
 その時、でっかい虹が家の前に出ていて、50分の番組がフィニッシュしました。

◆私の感想◆

 由美さんのお姉さんがお母さんと会わなくなった時、お姉さんの子どもたちはおそらく結構大きくなっていたのではないかと思う。それでも、孫をよく連れて行っていっていた実家にもう足を踏み入れない、と決断したお姉さんはきっと断腸の思いだったと思う。ずっと悩んで、やっぱもう無理だ、ってなったんじゃないかなーって思いながら観ていた。
 妹の由美さんはテレビ番組に頼んでまで実家の片付けを決行することにして、それでもたった一度もそのプロジェクトに姿を現さないということを貫くお姉さんの気持ちが勝手に私の体の中に浮かんできて、胸が熱くなった。

 豪傑だったり破天荒だったり過干渉だったり無頓着だったりする母親に育てられた2人姉妹の姉のほうが存在を消し、妹と母がその関係を続けるっていうのはよく見聞きするパターンだ。

* 

 もう何年も前のこと、「姉が母と絶縁してしまった」という女性の話を聞いたことを思い出していた。
 きょうだいは姉しかいない。自分と母は仲が良いという。
「姉はいつまでも、昔のことを言って母を責める。頑なで、実家に来なくなり、1人でどんどん不幸になっていってる」
 と話してきたので、私はビックリして「そりゃないよ」と思った。
 長女、長男が親からのエネルギーを一番にぶっかけられるっていうのは王道なので、その人がお母さんと仲良くいられるのはお姉さんのおかげというか、お姉さんが母から放出される様々な血気あふれる圧を丸ごと被ってくれてきたからに他ならないと思った。
 3人の関係性、父親や先祖も含めた関係性によって、その仲の良さが保たれてるのだから、まるでお姉さんの個人的性質が意固地でみんながハッピーな場でもひねくれて幸せになりたがらない、みたいな風に思わないであげてほしいと内心思ったし、遠回しに言ってしまった。お母さんと離れられて幸せって思ってる確率のほうが高いし。その人は、私にお姉さんの話をしなくなった。
 
 番組に出てきたのはもちろんまったく無関係な姉妹だったけど、残された妹も大変なんだな、って思った。板挟みになって、姉ほど母を憎むことができず、捨てられず、逃げられず、っていう立場になるんだ。
 一人っ子の分際で、遠回しにでも軽はずみに言ってしまったことを反省した。
 


 そして由美さんに、片付けてもらっている母。
 部屋を散らかして、片付けなさいと言われても言うことを聞かず、片付けられると「あれを捨てないで」と文句を言う。
 これは本来「子ども側」に許される行動だと思う。
  
 由美さんと由美さんの母は、子どもと親の立場が逆転している。たぶん由美さんが子どもの時から。
 母の心は由美さんに対して完全に「子ども側」だと思う。でも立場・現実は「親側」なので、娘からしたら、自分はこの人の子どもなのに行動は親をやらされるというねじれが起こる。でもそれが子どもの頃から続いているとその家庭では当たり前なので、立場が逆転しているということはなかなか気づけない。

 由美さんの母はおそらく自分の娘たちを、小学生の頃から、自分よりも年上の老いた母のような感覚で接していたんじゃないだろうか。(テレビをみただけの勝手な推測という前提で読んでくださいね。続けます)
 じゃないと、夜遅くまで働いた自分にちゃんとしたご飯を作ってない、ってことで小学生(本来自分が世話するべき相手)を叱るなんていうことはできないと思う。 自分が親で子どもは子どもである、って感覚だと、お腹を空かせちゃってめちゃくちゃごめんね、っていう気持ちになる。そっちが正しいとかじゃなくて、ただそうなるものだ、っていう事。

 そもそも相手が親であっても配偶者であっても、なんでちゃんとご飯を作ってないのか、私は働いてきたのに、みたいなことを言うのは失敬なことであり、大人であれば自分でやれよ、なことであり、相手にかなり甘えていたり依存的な関係性でないと言えないと思う。つまり、それを小学生の子どもに言うのは、母の中に〝自立〟という概念自体がないのではないかと思わせる言動だと思う。外では立派に働いていても心の自立はしていないということは起こり得る。

 由美さんの父は、そこでそれを問題として向き合って父にはならず、妻と共にに娘たちの息子になることで、由美さんから妻と2人一緒に愛されることに成功した。
 断捨離をしたことで由美さんは、両親2人の親になったわけです。実際にはなれないから、断捨離っていうとてつもなく大変な行動を1週間かけてすることで、母が12部屋の豪邸に溜めまくった「甘えと依存」を一個ずつ捨てることで、自分自身が母と対等になることを自分に許すってことを成し遂げたんだと思う。そして同時にそれは、母をなんとか〝立っち〟できるまでに育ててあげたことにもなる。
 つまり母は80歳だけど、やっと1歳くらいになれたという感じ。由美さんの手(愛)によって。そして由美さんをそのように動かした原動力を生んだのは、絶縁した姉なわけです。娘たちによって(お父さんも娘に寄りかかりながらも娘たちを励ますことで母だけを家族から切り離すことを防ぐという手助けをしながら)やっと母は「娘の子ども」として自立できた。

 「親の、親になる」というのは、言い換えると、「親への恐怖心や脅威を乗り越える」ということでもある。これはすんごく大変なことなので、由美さんみたいに1週間コースだと、「モノで埋まった12部屋をテレビ番組を呼んで一気に片付ける」になるんだと思う。
 私の母も、隙あらば私の子どもになろうとするところがあった。子どもに対して親は、絶対的に、全ての権力を持っている。勝手に私を親と見立てた母親(権力者)から「子どもとしての癇癪」をぶつけられるのは恐怖でしかない。私の場合は10年コースで「親との関係を漫画に描いて出版してとにかく自分の心に寄り添う訓練をする」みたいな感じだった。由美さんも、この1週間で一気に、ってわけじゃなくて、姉と母のやりとりなどを含んだら何十年コースだったと思う。
 たぶん、人それぞれそのコースがあるんだなーって思った。
 乗り越える、というとすごく大変なことに見えるし、まあ実際大変なんだけど、気張らずにただ「私は幸せになっていい」って事を自分に許していると、自然と勝手にコースが始まり出しているものだと思う。

 なんてことを思うくらい、由美さんの断捨離は私の心に響いてきました。 
 

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