過干渉とゲシュタルトセラピーの関係


【ゲシュタルトセラピーについて(私の解釈)】

ゲシュタルトセラピーは、普段の生活では話せないことや、自分でも意識してない「心」(私の造語でいうところの「B面」)に触れられるセラピーです。

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カウンセリングとか他のセラピーは、統計や様々なパターンから推察された自分の状況を他の人から解説してもらうという感じがあります。ゲシュタルトセラピーは自分から自分のことを聞く、という感じのセラピーです。
自分の心や体の声を自分で聞く、尋ねる、自分のことに自分で気づく。
「今ここ」を感じるセラピーです。

私はゲシュタルトセラピー以外にもいろいろなセラピーや心理学やヒーリングを生活に取り入れていますが、ゲシュタルトセラピーが全部の土台にあります。


親から過干渉な接し方で育てられたからなのか、私は自分自身にも過干渉になりやすいです。
過干渉というのは、「未来」を心配して「過去」の相手を責める、相手の「今ここ」を見ていない状態のことです。それは自分自身へも起こります。
例えば、ちょっと減った通帳を見ただけで「このままじゃお金がなくなる!(未来の心配)どうしてちゃんと貯めておかなかったんだ!(過去の自責)」みたいに慌ててしまったり。

未来と過去をいったりきたりしてると、「今ここ」の自分のやるべきことがわからなくなってパニックになります。
落ち着いて考えれば「ちょっと減った通帳に対して今自分がやるべき最善のこと」が分かるのに、パニクると余計なことをして自分のやりたいことや本来の自分からどんどん離れていったりします。やらんでいいことばかりを選択していったりして、常に混乱した毎日を送ることになります。

私の母の、私への過干渉は、私のテストの点数や生活態度を見て「このままじゃお前の人生は大変なことになる!(未来の心配)どうしてちゃんとやっておかなかったんだ!(過去の叱責)」と、私の未来の心配を勝手にして過去を叱責するというものでした。
子どもの未来の心配って、親としての仕事みたいなことになってるけど、実際はそれはほぼ親側の「妄想」です。その妄想を言われるほうは、うるさいだけ。
今現在の問題をどうすればいいのか、というのを冷静に考えたり教えてくれたりはしないので、「お母さんはいつもパニックで訳の分からないことをわめいている」と思うだけでした。

そういう風に、子ども(相手)の「今ここ」じゃなくて、未来と過去をいったりきたりしてしまうのは、母(自分)が母(自分)自身に対して過干渉だから。
「このままじゃ子どもはどうなる、私の責任だ!どうしてちゃんとやっておかなかったの私!」という自分自身の不安が、子どもに置き換えて外に噴射されている。

子どもへの過干渉をやめるには、自分への過干渉をやめる、つまりいつでも「今ここ」にいる、という感覚を持つのが有効だなと思います。ゲシュタルトセラピーで「自分の心への尋ね方」を教わって、日常的に自分が今なにを感じてるのか、っていうほうに軸を持っていられるようになったと思ってます。周りの声や、情報や意見に影響されやすく、グラグラゆれちゃってつらくなりがちな私にとっては、欠かせないものになりました。
 

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