僕の心を取り戻すために

ブランキー・ジェット・シティの曲にこういうタイトルの曲があるのだけど、ふとした瞬間にそう思うことがある。というよりも、なんで今私はここに漂着したんだろうなあとか、ここはどこなんだろうなあとか思うんですけど、そんな風に思うことってありますか。多分子供の頃から色んな所に住んだというのも関係あると思うんですけど、ふと歩いていて、ふと買い物の途中で「ここはどこなんだっけ」と思うんですね。思うままに書いてるので接続詞とか時制とか色々おかしかったりすると思うんですけど続けます。

どうして今私はここに漂着したんだろうかっていうのは多分好きとか嫌いとかいう話は濃厚に絡んでくると思うんですけど、そもそも好きってなんなんだろうかと。好きと思うものについて考えてみても、全然そのことについての知識が無いことが分かったりして、それって好きなんだろうかどうなんだろうかと。

以前すごく好きで何回も読んでいた魚喃キリコのblueという漫画があったんですけど、何回も読んでいたのに話が一個も思い出せないし、登場人物の名前も一人も思い出せなかったりするんですけど、「好きだった」ことに関してもなんにも思い出せないということはもはや好きじゃないというのかなと。

あと、ドラマも濱マイクが好きで、ビデオに録って見ていたのに、UAが歌姫で出てきたなということしか思い出せなかったりして、我ながら驚く。

その2つは20代前半のことだけど、高校生の頃に聞いていた曲なんかについては割と覚えている気がする。いや、曲に関しては聞いていたのものに関しては割と覚えているのかな。

でもそれ以外のことに関しては何十回何百回見ても多分忘れる。

そんなこともあっていつからか人と何かを共有したいと思わなくなってしまったんですけど(なんにも覚えていなくて会話が成立しないから。)、好きと宣言したり表明したりすることって、ほぼ�イコールで共有することも意味を含んでいるような気がしていて、それならばもう表明しないほうがいいのかなと。夫はこれを「好きというのがおこがましいので」と表現するんですけども。夫も忘れるタイプらしく。私よりもはマシだと思うけど。

今夢中になってやっていることも、10年後覚えているのかなと思う。でも取り敢えず、ミッシェル・ガン・エレファントのゲット・アップ・ルーシーのコードを覚えている時までは自分という存在は大丈夫かなと、今たまたまイヤホンからゲット・アップ・ルーシーが流れていたのでそう思うことにします。音楽もミッシェルとブランキー追いかけてるときが一番楽しかったなー。あの時以上の瞬間なんてもう訪れないと思う。