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平成という終わり ~Janne Da Arcに愛を込めて~

こんばんは。

私、Happy G Friendsのはぎと申します。

本日、新元号が発表され、TwitterなりLINEなりでその話題が出ておりました。

そして、何となく先の未来だなぁと思っていたことに名付けという行為が行われた事によって、一気に現実味を帯びたなぁと少しセンチメンタルになっている僕です。

僕は昭和を鬱陶しく思っていた

僕は平成の初期に生まれて、社会人になった当初というのは「うはwwwはぎくん平成かよぉwww」みたいな感嘆と好奇な目線で見られたもので、何かと平成、平成、ともてはやされていたように思う。

そして、その後に決まって、昭和の時代はね~みたいな話に続いていく訳だが、この昭和自慢というか、「俺たちの時代は~。」みたいな話を聞くのが正直鬱陶しかったのだ。

今思えば、若かったのかなと思うが、「まぁ、昔話してるところ悪いけど、今、平成の時代なんで。」と大変失礼ながらマジで思っていたふしはある。バブルで浮かれたり、高度経済成長なり、日本が一気に活気づいてある種、現代日本の基礎及び、盲目的な神話にも似た一定の価値観が出来上がっていった時代だ。

そして平成になり、また新たな価値観が生まれ、僕ら平成は昭和の話しを古臭いと感じ、昭和の人たちは僕ら平成を宇宙人のように現代っ子と呼んだ。

そして平成が終わる

そんな昭和、平成論争というか、一つの社会を二部していた時代感の中で、平成生まれだった僕は正直、中心にいたと思う。

よくテレビなんかでその時代を生きた人といった表現が取られることが多いが、平成の真っただ中を生きた僕は過去の偉人伝なんかにまるで興味がなく、海賊と呼ばれた男なんてまるで見なかったし、Allways~三丁目の夕日~なんてBUMP OF CHICKENが主題歌を担当している以外、興味もなかった。

僕より全然大人な人たちが小さいころに巨人に熱中したことも、初代ガンダムに夢中になったことも、ウルトラマンや仮面ライダーに憧れたことも、太陽ホエールズも、正直、全部、平成として生きた僕にとっては単なる過去でしかなかったのだ。

しかし、今日、新元号が発表となり、その発表を見た瞬間に、急に物凄く寂しさが込み上げてきた。

「あぁ、僕が熱中したこと、熱中したもの、それが社会全体で盛り上がるものではなくなるんだな。過去になるんだな。」と。

Janne Da Arcの解散

僕が音楽を本格的に好きになったのは高校時代だ。

まぁ、中学時代に中二病全開だった僕は例にもれず陰キャ界の大スターBUMP OF CHICKENの大ファンだったわけだが、高校に入って地域の小さな世界から少し大きな世界を知ってその中で出会って色々な友達の影響を受けて色んな音楽を聴き始めた。

そして、そのうちのバンドの中で僕の音楽に多大な影響を与えたロックバンドがいた。

それがJanne Da Arcだ。

僕は当時、いわゆるV系に対して少し偏見を持っていて、髪を逆立てて闇がどうのとか恥ずかしいこと言ってる人たちくらいにしか思っていなかったのだが、このバンドに出会って物凄く音楽観が変わったように思う。

いわゆるロキノン系しか聞いていなかった僕がテクニカルな楽器とハイトーンボイスがこんなにかっこいいのかと夢中になった。

高校の友達とその後ボーカルのyasuのソロプロジェクトであるAcid Black Cherryのライブにも行ったし、ヘドバンという概念が存在することもこのバンドが教えてくれたし、このバンドを介して、より激しい洋楽メタルなんかも聞くようになった。

そんな思い入れ深いが今日をもって解散を発表した。

あの頃の僕らにとって中心の1つだったバンドが遂に現在ではなくなってしまったのだ。

古い友人を失ったような気分だ。

Janne Da Arcは僕よりも僕の友人が愛していたバンドで、よく放課後のカラオケで友達が歌っていたのが思い出される。

大人というものは不思議なもので、高校時代と学生時代のあの日に本当につい最近のように感じられて、正直僕のようなモラトリアム人間にとってみれば、全然色あせない、今の自分とさして変わらない自分がそこにいたとさえ思えるようなものだ。

しかし、あの時のあの僕らが好きになって夢中になったものが現在を捨てて過去になったことで、あぁ、こうやって時代は過去になっていくんだなとノスタルジックな感傷を感じる。

時代が変わる。主役が変わる。

当たり前のことだけど、当たり前のことなんだけど、少し涙が零れた平成最後の春。