夢や戯言でなく現象としてある世界
「狭い坂道で対向車とすれ違いになったの。でね、わたしこれ以上進んだらすれ違えないなってところで止まってたのよ。そうしたらすれ違いざまに向こうの運転手がすっごい権幕でこっちに文句いいながら通って行ったわけ!なんだかムカつかない?💢」
『登ってたのはどっち?』
「わたしのほう」
『じゃあ、むこうが止まって登りのきみが優先だね』
「でしょ~!あーイライラしちゃう!!(# ゚Д゚)」
『本当の根本原因はきみだけどね。なんでその現象が起こるのか?それはきみの観念にすべてある』
「なに?え、どういう意味??」
『きみはまだ自分が何者か知らないだけさ』
(きみの為にならないことは起きないんだけどなぁ)
「ポカーン( ゚д゚)」
(”自分が何かをやっている”という誤りの同一化をしているのだからかわいいものだ。グラスの中の嵐。そっと見守っていよう)
🍷 🍷 🍷
〈タオの助さん、お疲れ様…..いえお光り様でした〉
『”私”ではない。スケベイダーという独立した存在は存在しない。あらゆる存在のおかげで神癒が現象に咲いたのだ。役割を演じてくれた霊止と存在のすべてへまたエネルギーを返そう🙌』
〈謙遜は最大の自惚れですよ。まさに理解が理解し認識が認識する。悟る者など何処にもいなく、誰もが行為者ではない。亡き父の跡の光術展開、お見事でした👍✨背後も守護霊団さん方も微笑んでおられます〉
『モーホー。現象のすべては自動で決まっている。どのように生きても完璧だが、在ることでしか完全にも空にも神にもなれぬ。が、すべてを神の顕れとするならそうだろう。ところで完全なるオジ=サンよ。すでに書かれた世界にありながら、私は”私”を消したまま、ワタシはどこへ?』
〈それも書かれております〉
『愛物語として顕せとでも?』
〈それもすでに。終わっております〉
『オジ=サンの毛ナイ物語でも顕せば如何だ?パダワンから毛ナイへの道とか。今回の変化において貴方もかなり前から実体験でヌケ感を味わっておったであろう?』
〈ええ。すぐ忘れちゃう程、かなり脳を散らされましたね。まさにノーチラス〉
『いやっ💦ノーチラスってそういう意味じゃないと思うぞ💦・・ん?カラダの中心に潜っていくからある意味それも良いのか😅』
『恥丘の前には君がいて~🎵』
〈チキュウとムチュウ、地球と恥丘・・なるほど!人体の御霊の場所ですか✨〉
『霊止。人間とはすべて。同時に真実では何も起きてない愛と奇跡の冗談物語だ』
〈この歌の”丘”の解釈に気づくとは・・さすがスケベイダー卿です。そりゃこの度の宇宙戦争にも勝てますよ!👍〉
『戦争?戦争で偉大にはなれぬ。なぜなら偉大な者など何処にもいないのだから』
〈イダイとイナイ・・最後まで韻踏みを忘れませんね🤣〉
『ぐ、偶然の必然だ💦』
〈で、どうされますか?〉
『私の手には最初から何もない。完全完璧に癒すだけだ』
〔ちょっと!あなたっ!!〕
『こ、小力子っ💦』
〔なんで鏡がまだ曇ってんの!?ピカピカに磨いておいてってお願いしたわよねー??💢〕
『え?おかしいなぁ💧誰かがつけてたガムまでキレイにとって照らし返すだけにしたのだが。外側に白光放つ太陽や星々の如く』
〈例によって言葉で説明できる領域じゃありませんね🤣全愛ゆえに起こる絶対意識の中真力。誰がどのように考えようと誰もが神ですから👍✨〉
『あなたの内面ですべて起きているからな💗』
現象界。
それは夢や戯言でなく、自分を知るための現象としてある。
ではまた。
毛がヌケましたら👶👌✨