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ほんのり視界が変わるコト

先日眞鍋かをりの記事を読んだ。
http://dual.nikkei.co.jp/article.aspx?id=8150

半年も経てば私も似た心境を味わうに違いない。…そう。現在妊婦期間真っ只中。

世間を賑わす #保育園落ちたの私だ も、来年には我が身。というか、もう今から動かないといけないらしいのだけど、なんせ実感がわかない。

FBでは妊婦であることも伏せている。世の中にはいろんな状況の人がいて、全ての人に配慮しようと思えば何一つ発言することなどできやしないのだ。Twitterでは結婚していることすら黙っている。

気にし過ぎだと言ってくれる人はきっと、人が幸せオーラ全開の記事やつぶやきを投稿していたからといって特に妬んだりすることなく「人は人」精神で生きてゆける真っ直ぐなこころの持ち主なのだろうと思う。

いや、世の中には、自分も含め本当に様々な人がいるのだ。

だからあとは、取り得る選択肢の中で私の好き嫌いを反映させた行動を選ぶのみである。

そもそも自分自身が、いろんな女性たちとの関係性の中で、複雑な思いを随分してきたので、せめてものの、過去の自分が今の自分に会って不快に思うような選択肢は採りたくない、ということで。

何もしがらみのないココでなら、「読みたくないひとは読まずに済む」という、相手に選択肢を与えることができる。

だから妊娠中であるということをとりあえず書いてみた。

「マタハラ」…マタニティハラスメントは、女性が女性にする方が余程多いのではないかと思っている。

同僚の正社員が、3回産休を取った。
その当時派遣である私が思っていたことは、「私より仕事出来ないのに産休と育休とって、その合間も時短で帰宅して、私の給与の倍は貰っている」ことへの不満。けれど善人ヅラした私は「妊娠している女性への思いやり」は勿論表明しておきたくて、病院から子供の熱で電話がかかってきてもグズグズ仕事している彼女に早く帰ってあげてと言ってみたり、重いもの持つのを「そんなの私がやるから〜見てるこっちが心配だから重いもの持っちゃダメですよ〜!」と言っていた。

善人ヅラだけど、本心の部分もある。
人は自分に余裕がある時だけは、人に優しくできるのだと思う。
多分当時の私はギリギリで優しくしていられるラインだったのだろう。

妊婦さんに対してだけではない。
女同士というのは何かと共感して意気投合するか、若しくは闘争心を燃やすか、きっと大きく2つに分かれる存在なのだと思う。

独身で彼氏もいなかった時の私は、きっと生活が安定していて、素敵な旦那様と可愛い子供に囲まれ、高い給与を貰っている彼女が、羨ましかったのだと思う。
遠くでそうなら特に気にならないのに、毎日顔をあわせる職場で、隣の席なら気がつかなくていいものにまで気がついてしまって、つい比較して落ち込んだり反動でdisったりしたくなっていたのだろう。

高校生の時、歳上の好きなひとが結婚してしまった。子供も出来たと聞き、まだ男の人がどういうものか知らなかった私は「妊娠している女性」が気持ち悪かった。なんだよ、おとなしそうな顔してこの人もすることはしてるんじゃないの、と。そういう心の中で悪態をついている時期もあった。
私が特別性格が歪んでいるのか、思春期にはそう感じることがあっても不思議ではなく誰しも通る道なのか、それは私にはわからない。

けれど、そういう時の自分の感情を、「無かったこと」にはしたくなくって、今現在も、あー、私の今の姿を見て気持ち悪いと思っている女子高生とか女子大生とか、育休とって当然と思っていて人の仕事増やすことなんとも思ってないんだろうなこの人、と感じている同僚とか、いてもおかしくないよな、と思いながら暮らしている。

友人の子育て方法に批判的だった女性が、自分が母になった途端、子供甘やかし放題で超人見知りっ子に育てているのを目の当たりにすると、もはや溜息しか出てこない。
そういう人がFBで、子供の写真とネタや、ママ友たちとのホームパーティのお料理ばかり投稿してるのを見て、ウンザリする自分がいる。

心の中で、決してこうはなるまい、私は母になれど、ちゃんと個を持つ女で、子供ネタしか話さなくなるようなツマラナイ女じゃない、と勝手に宣言している。

妊活中と豪語する人もいるし、不妊治療中の人も、子供が欲しかったのに出来なくてもう年齢的に厳しいと自分で思ってる人も、そもそも結婚なんてしたくないと本気で思ってる人もいる。

全てに配慮しようとして、それでも「今妊娠中で〜」とFBで公開するのはリスクが高過ぎる。どだい無理な話だ。

妊娠以前に、結婚した事も、なんとなく言いそびれた友人が山ほどいる。失恋した直後に、結婚式の招待をされた時の過去の自分の心境を思い出したりすると、もう、とてもじゃないけど既婚者として先輩、な友達以外にライトに言うことなんて出来なかった。

結婚式も私はしていないのだけど、祝ってくれる人、というよりは、私が結婚することを心底喜んだり、ホッとしてくれる人、しか多分呼べなかったと思う。幸いというか不幸なこと?にというか、友人たちの間では私は結婚するのは最後の方だったのだけど。

20代後半で、どんどん友人たちは結婚していき。置いてけぼり感を感じてみたり、専業主婦になって自由になるお金と時間がない状態の友人を見て「それならコッチの方がマシ」と思ってみたり、そういう両方の気持ちが複雑に絡み合っていたり。

たくさんの過去の自分の感情を、忘却して無神経になりたくないのだ。

この気持ちが、自分の中にある一番強い感情かもしれない。…では、それ自体はどこにぶつければいいのだろう。

先日、同僚で一足先に2人目の産休に入った妊婦さんと話していた時。
「いろんな気持ちがあるだろうから、あまり妊娠のことを妊婦さん以外には話さないようにしている」と言われた。
あぁ、やっぱりこの人も私と同じだ、と思った。

だからこの。
しがらみのないこのnoteでだけは、矛盾してようと配慮に欠けてようと、私の中の真実だけを文字にしていたい。妊婦日誌も子育てblogもやりたい。ここでぐらいは。

…とはいえ、妊婦生活、VERYみたいなママ雑誌や、よく聞く妊婦芸能人の話みたいにキラキラふわふわしたものでは全くなく、どちらかというと自分の体が思うように動かず、最初は吐きまくってゴハンどころでもなく、痛いだのツライだの苦しいだの重いだの、そういう時間の連続なだけなのだけど。

明らかにイイことと言えば、毎月の面倒くさい生理痛がない事。胎動を感じ始めたら、ほんわか幸せな気分になれること。

電車で席を譲ってくれるのは、着飾っていないすごく若い女性か、50代くらいのきっと子育てをしてきたであろうおばさん達。でもそれにも増して、30〜40代の、サラリーマン風の男性たち。この層が一番気づいて譲ってくれる。きっと結婚していて、奥さんが妊娠していたり小さな子供がいる人たちだろうと推測。
女の人の方が譲るだろうと思っていたから、この現実には正直驚いた。新しく知った、ちょっと幸せな現実だ。

父親世代以上の男性陣には、あまりマタニティマークは浸透していないように思う。実際、うちの父も知らなかったのできっちり席を譲るように教育しておいた。
マークや体型を見て、明らかに敵意をむき出しにしてくるのは30〜40代の女性。ホームで故意に押されたことも。この世代の女性は、行動が真っ二つに分かれる。すごく親切にしてくれるか、敵意か。気持ちはわかる気がするので、とりあえず相手を犯罪者にしないように気をつける。…なーんて。

妊娠期間という、とても貴重な体験をさせてもらってる感じだ。実際妊娠してみないと気がつかないことは山ほどあった。随分視界が変わった気がする。終わってないからまだまだ出てきそうだけど。

友人の、不妊治療blogを読んで、勇気付けられたり知識が深まったりしてとても助かった。

今は出産するまで不安しかないけれど、こういう不安定な心境を取り留めもなく書き留めておくのも、未来の自分の為にいいかな、と思いながら。

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