拝啓 ナイスネイチャ号

ナイスネイチャ号、彼は私にとって“競馬を教えてくれた“存在であり、“競走馬にとっての幸せとは何か“を考えるきっかけを作ってくれた存在でした。

 とはいえ、私は彼の現役時代を知りません。彼がターフを走っていた頃は競馬のけの字も知らない子供でした。彼を知ったのは、彼がモデルとなった「ウマ娘」でした。どこかレトロな見かけをした女の子で、同期と比べて「自分には才能がないのではないか」と悩みながらも諦めずに1着を目指して挑戦し続ける姿にどこか親近感を覚え、“推し“になりました。そして思いました。実馬の“彼“はどんな馬だったのだろうか、と。

 重賞をいくつも獲り、G1にあと一歩届かない。けれど、挑み続ける。そんな姿を応援せずにいられないファンは多かった馬なんだろうと調べて思いました。きっと私がもっと早く生まれて、競馬に興味を持って、彼の走る姿を目に焼き付ける機会があったなら…ファンになっていたかもしれません。そんな中でも、強烈な、私の運命を決定づけることとなった話があります。

 それを知ったのは、『優駿たちの蹄跡』という作品でした。そこに描かれていたエピソード…それが、彼と馬場厩務員の話でした。彼が暴れても怒らずに接し続けた姿、彼のために高級な餌を自腹で買う姿、ファンを大切にする姿、そして何より彼の将来を考えて涙ながらに「もう引退させてやってくれ」と頼み込む姿…数々のエピソードにボロボロと涙を溢しました。馬場さんは彼のことが大好きだっただろうし、彼もまた、いつも寄り添ってくれる馬場さんが大好きだったことでしょう。馬場さんと歩いている写真を見たことがありますが、彼は嬉しそうに笑っているように見えました。

 そして私はこう思うようになりました。
「競走馬に携わる人々は、彼らのことを想って、レースに送り出している。誰もが同じ。だから、勝っても負けても“想い“に拍手を送ってあげよう」
 競馬場に何度か足を運ぶようになりました。その中で応援していた馬が勝てば、負けてしまうこともあります。馬券が全て当たることなんて滅多にありません。歯痒い思いをすることも多いです。けれど、馬と関係者の方々には拍手を送るようにしています。
 もし、ナイスネイチャ号のことを知らなくて、競馬にハマったなら、全く違った方向のファンになっていたかもしれません。彼は私にとって、“先生“のような存在だと思います。

 そして、こうも思うようになりました。
「馬にとっての幸せとは、待っている人の元に無事に帰ってくることだ」
 有馬記念最多出場記録がかかっていた時、彼の脚にごく僅かな異常がありました。走っても問題ないと医師からは判断されましたが、馬場さんは記録より、引退を進言しました。その進言を彼を管理してた松永調教師は「お前が言うんだったら仕方がないな」と受け入れたそうです。きっと馬場さんは、彼がレースで怪我をして、最悪取り返しのつかない事態になってしまうことを恐れていたのでしょう。…大好きな彼のことだから。

 最近そのことを改めて感じます。今思い出しても涙が出ますが、2023年の京都記念でエフフォーリアが競走を中止しました。天皇賞(春)でも、タイトルホルダー、アフリカンゴールド、トーセンカンビーナの3頭が競走を中止しました。そして、先日の日本ダービー…スキルヴィングがレース後、急性心不全を発症し、亡くなりました。
 彼らに夢を見ていたファンも多いでしょう。その夢が叶わなかったことを嘆く声もあるでしょう。けれど、私はその場にいた関係者の方々を決して責めたりしません。競走を中止した馬達については、ジョッキーが異変を感じ、勝負を捨てて、守ってくれたおかげで、待っている人達の元へ帰ることができました。それは、幸福なことです。
 スキルヴィングと関係者の方々も誰も悪くないと思ってます。彼らはこの日のために、スキルヴィングと向き合ってきました。競馬記者の取材でも、彼の担当さんがどれだけ彼を大切にしていたかが分かります。その日、彼に乗っていたジョッキーは栄誉を捨て、彼を守りました。ゴールした後も歩き続けた彼は、待ってくれている人の元に帰りたかったのかもしれません。そして、自分を守ってくれた人を自分も守らなくてはならないと思っていたのかもしれません。そこには、“強い絆“が存在していたと思います。
…ナイスネイチャ号と馬場さんのように。

 ナイスネイチャ号がその後、多くの引退馬達に道を示し、幸せをサポートする存在になったのも、天寿を全うして相棒のメテオシャワー号や渡辺牧場さんの人々に見守られて、天寿を全うできたことも、馬場さんや彼に携わった方々の判断があったからだと思います。
だからこそ私は、全人馬が無事に戻ってくることを強く願いたいです。待っている人のところに、ちゃんと帰ってきてくれるように。勝負の前提として、最も忘れてはならないことだとも。

 私はよく中京競馬場に行きますが、入り口に“中京競馬思い出のホースたち“が描かれた柱があります。その中に、高松宮杯で久々に勝利を挙げた彼の写真があります。レースが終わり帰る時にその柱を見上げ、思いを馳せることが多々あります。これからは、違った意味でも見上げることになるのだろうな…と思うと寂しい気持ちもありますが、彼が幸せに過ごして、虹の橋を渡ったことは、良かったのかなと思います。

 これまで彼に携わった方々、いつも寄り添って下さった渡辺牧場さんや引退馬協会さん、ありがとうございました。

 ナイスネイチャ号、ありがとう。貴方を知ってから、毎年誕生日を祝えたこと、かけがえのない経験になりました。大切なことを教えてくれて、ありがとう。
 虹の橋の向こうで、馬場さんと再会して、寄り添って歩きながら思い出を語っていること…貴方のファンとして願っています。
 

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