サラブレッドの私はあたたかな蹄跡を歩む

 暖かく爽やかな甘みが口の中にひろがった。前から気になっていた桜味のフラペチーノを私はカフェで飲んでいた。顔をしかめながら。
 近くの二人組の客がおしゃべりをしている。世間話で盛り上がり、だんだんと声が大きくなるにつれて、“不快“という名の針が、頭の中をズキズキ刺した。

 大きな音や高い音が苦手だ。幼い頃、花火の音に泣き、運動会のピストルの合図におびえた。店や電車の中で耳に入る会話も不快に感じてしまう。
 香水が苦手だ。強い匂いを嗅ぐと、頭痛と吐き気がつきまとう。
 タートルネックの服が苦手だ。首にチクチク触れる毛が痛がゆくて、首を絞められているように苦しい。
 誰かと話すことや、チームプレーで作業をすることが苦手だ。微妙な顔色や声音の変化を敏感に感じ取ってしまう。そして、「あんなこと言わなければよかった。」と一人反省会をする。だから、顔色を伺って気遣いをしなければならない飲み会は大嫌いだ。
 急な予定変更やサプライズも苦手だ。その瞬間、強い怒りや戸惑いを感じる。

 私は“繊細さん(HSP)“である。言葉として表に出ない些細な物事を無意識に受け取ってしまう。そして、深く深く考えて、心が疲れてしまう。身体も強くない。ひょっとしたら、そんな性質によるのかもしれない。
 自分が“繊細さん“と知らない時は、「こんな弱い人間では駄目だ」と何度も言い聞かせてきたが、弱さの正体が見えてきた時、その考えは捨てた。今は、「この弱さとどのように付き合っていくか」を延々と考えている。

 しかし、私を苦しめているものは自分の中にあるものだけではない。それに対する周りの目の方が私を絞めつけていた。

「気にしすぎ。」
「それくらい?」
「みんな我慢しているんだから、あなたも頑張りなさい。」
「体が弱いなら病院に行って、さっさと治した方がいいよ。」
「なんでそんなに元気がないの。」

 非情な言葉ばかりが飛び交う世界の中で私は生きている。相手にとって理解ができないことがあるのは十分に理解している。
 しかし、冷たい人間たちは目の前の想いを理解する努力をしているだろうか。相手の立場で考えたり、想像力を働かせて寄り添うことを諦めていないだろうか。

 私は常に太いトゲのついた鞭で叩かれている。ずっと抉られた心と共に一日一日を過ごしていかなければならないのだろうか。
 不安に苛まれた時、一頭のサラブレッドの姿が目に浮かんだ。私が競馬を見始めたのとほぼ同時に知った、“真面目すぎる天才少女“の姿が。

 彼女の走りを最初に見たのは、桜花賞だ。レース序盤で前の馬を押しのけるように先頭に立ち、後半でスタミナが切れて失速し、最下位になった。
 その後、キーランドCに出走したが、前走と似たような走りで七着。
 スプリンターズSでは四着と健闘したが、やはり前の馬を押しのけて、走っていた。

「イヤイヤ!先頭じゃなきゃイヤなの!」
 
 そう叫んでいるように聞こえた。その馬の名は、“メイケイエール“。私は彼女にこんな印象を抱いた。

「きっとこの馬は、厩舎でも暴れて、周りの人間を困らせる気の強いワガママな女の子なんだろう。」

 年が明け、シルクロードSにメイケイエールは出走した。パドックに現れた彼女を見て、正直、ガッカリした。

 ホライゾネットで覆われた目。ジャラジャラと手綱を付けられた馬体。体を拘束されているようでかわいそうだ。彼女は美しい気品のある顔立ちをした馬なのに、これでは台無しだ。私は溜息をついた。
 そうしているうちにレースが始まった。

「いつもよりは折り合っているか…」

 あっという間に最終直線へ。その瞬間は今でも鮮明に思い出すことができる。馬具に覆われた馬体が、風を切り裂くように先頭を目がけて足を伸ばしてきたのだ。

「がんばれ、エールちゃん!」

 “繊細さん、メイケイエール“
 彼女について書かれた記事が脳裏に浮かぶ。彼女は「暴れん坊」ではなかった。普段は、大人しくて、ちょっとした物事に敏感な女の子だった。とても素直な、生真面目なサラブレッドだったのだ。

 メイケイエールがなぜ、前へ行きたがるのか分かったような気がした。

 高校生の頃の出来事が蘇る。その日、私は図書館でテスト勉強をしていた。集中するあまり、周りが見えていなかった私は、ガリガリとノートにシャープペンシルをはしらせていた。その時、前に座っていた同級生が一片のメモをよこしてきた。

「書く時の音が響くから、抑えて。」

 あの時の感覚と似ているのかもしれない。
 彼女は、繊細だから物事を真面目に受け取り、周りが見えなくなるほどひたすらに先頭を目指すのだ。

 メイケイエールはシルクロードSを制覇した。ジョッキーと一緒に、私もテレビの前でガッツポーズをしていた。その後、引き上げてきた彼女の姿が強く脳裏に焼きついている。

「よう、がんばったなぁ。」

 彼女に携わる人々がやさしく讃える姿に心があたたかくなった。ホライゾネット越しから見えるメイケイエールの瞳は、誇りに満ちた美しく眩しい光を放っていた。

 数日後、ネット通販を見ていた時、ノイズキャンセリングイヤホンを見つけた。耳に入る音を、ある程度遮断でき、ユーザーの評価も高い商品だった。少々、値段が高めなのが欠点であったが…。
 
 刹那、メイケイエールの姿が思い浮かんだ。彼女の馬具は視界を遮ったり、首を必要以上に上げないようにするものだ。そうすることで、実力が発揮できるように手助けをする。
 私も耳に入る不快な音を制限すれば、ストレスが減り、少しでも快適な生活が送れるのではないだろうか。

 馬具をつけた馬は多い。昨年の年度代表馬エフフォーリアや障害界の絶対王者であるオジュウチョウサンもレース中は馬具を身につけている。
 競走馬の姿を思い描く時、馬具と共にその姿が蘇ってくる。それもまた、“彼ら“であり、“彼らの示す道“なのだ。私もそうなればいい。気がついた時には、購入ボタンをクリックしていた。
 
 もう一つ、気がついたことがある。メイケイエールに携わる人々は、彼女の繊細さや真面目さを力に変えようと、精一杯彼女に寄り添ってきた。
 
 サラブレッドは繊細な生き物だ。「これくらいなら」と思っていることがダメということも聞く。しかし、彼らは言葉をもたない。嫌なことや苦手なことを直接伝えることができない。
 だからこそ、人が彼らの気持ちを汲み取り、寄り添う必要があるのだ。馬のこころに想像力を働かせて接しているのだ。
 そんな光景を何度か見たことがある。

 私が競馬を見るきっかけになったのは白毛馬のソダシだった。彼女はあまりゲートが好きではないようだ。ゲートに入る時、彼女の調教師や担当者、そしてジョッキーが鼻や首を撫でている。あやされているように見えるが、馬を安心させる“寄り添い方“の一つなのだ。
 競馬場に行った時、パドックに興奮している馬がいた。その時、手綱を引いていた担当者が「よしよし」と声をかけて、鼻を必死に撫でていた。「大丈夫」と励ますように。
 馬の好きな口笛を吹くジョッキー、最後の最後まで付き添う調教師ー、そんなホースマン立ちの姿を見るといとおしさが込み上げる。
 
 彼らは馬を叱りつけ、「これくらいでは勝てないぞ」と思って接していない。馬のことを理解しようと努力し、時には共感し、その上でどうすれば良いかを考えて対処する。

 この環境こそ、私が夢見ていた理想の世界なのではないか。

 自分の感覚で物事を測ったり、押しつけたり、否定して接していないだろうか。相手のこころを想像し、どうすれば過ごしやすくなるかを考えて行動しているだろうか。

 実際、私の支えになってくれる人たちは、“あたたかなこころ“をもっている。けれど、その人たちの創る世界はまだまだ狭い。

 私は繊細さん(HSP)だ。言い換えれば、サラブレッドのような人間だ。だから、彼らのように道具の力も借りがなら、私自身の力を出せるように少しずつ歩んでいこう。

 耳栓をつけ、本の海に埋もれながら、私は生きづらさと引き換えに授かった“言葉を綴る力“を頼りにして、紙にペンをはしらせる。
 
 メイケイエール。繊細さんだけれど強くて美しい女の子。彼女たちは、私に宝物をプレゼントしてくれた。だから私は誓った。

 サラブレッドのように生き、“あたたかなこころ“をもち続けよう。そして、近い将来、多くの人々が通りやすくなるように、彼女たちの示した“蹄跡“を広げていこう、と。
 そして、私は最後にこう結んだ。

「彼女たちと同じ蹄跡を歩む人が増えますように。」

(文=シラユキサクラ)

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