卒業

とても個人的、かつ、明るくもないテーマなので、
お付き合い頂ける方だけご覧ください。
でも、書かない訳にはいかなかったんだな。

長いこと、両親のことを憎んでました。
貧乏だった。
武勇伝になる程の貧乏ではないし、それでいじめられたみたいなエピソードもありません。
それでも、服や靴、持っているものが友達よりも全部1ランク低い。学校や部活で購入しないといけないものがあると、親がピリッとする。子供はそういうことに良く気が付きます。なんとなく、うちはお金が無いんだなぁ、と思っていた。
小学生の頃、友達みんなでミニ四駆買いに行こうぜ、という話になった時、僕だけお小遣いをもらえなかった。友達が家まで来てピンポンする中、「そんなのやらねえよ!」と泣きながら叫んでいた自分。あれは辛かったなぁ。

中学生になると、団地から一戸建てに引っ越し、父は自営業を始めました。親にとっては、夢のマイホームだったかもしれませんが、僕は友達もいないところに引っ越し、さらに火の車感溢れる家庭がほとほと嫌になりました。新しいだけのこんな箱いらねえ、ってずっと思ってた。
当時剣道部だったんですが、ある日、試合会場で僕の竹刀が盗まれるという事件が起きました。顧問に報告すると、「そんなこと俺に言うな!」と怒られ、帰宅して母に伝えると、「なんでこんな時に無くすの!」とまた怒られ、なにが”こんな時”なのかは良く分かりませんでしたが、いろいろ大変な時だったんでしょう。ちなみに竹刀は2万円です。盗まれるって結構ショックだったんですが、大人は誰も心配してくれないのね。泣きっ面に蜂とはこのこと。

父は自宅で仕事をしていたので、仕事の様子が良く見えました。僕が受験シーズンになると、朝6時過ぎに起きて、もう仕事を始めている。夜の23時、24時、僕が寝る時、仕事場にはまだ電気が付いている。それでも貧乏。
「お金を稼ぐってこんなに大変なのか」
この思いは間違いなく僕の職業観に影響しています。少なくとも20代の僕は、周りから見れば意欲ある働き者だったかもしれないけど、ずっと貧乏から逃げ続けていた。

親というのは、強く、大きい、絶対的な存在であってほしいものです。
え?違いますか?僕はそう思ってました。
でも、思春期に入る頃の僕はもうそれを諦めてた。早く大人になって自分の力でお金を稼いで、好きな生活をしたいとずっと思ってた。ちなみに、うちは兄弟そろって国公立大学を卒業していて、周りから「偉いね」なんて言われてましたが、それしか選択肢が無かったんです。とにかく地元から抜け出したかったし、必死。人間追い込まれればそれなりにやるもんです。

大人になってから、周りの同世代はいろんな経験をしていて、僕が知らないことをたくさん知っていることに気づきました。僕にとって東京はすごく遠い存在だったし、飛行機なんて乗ったことも無かった。大勢が集まる場になると、自分だけが子供じみているような気がして、いつも気後れ。劣等感。育った環境への憎しみを泥団子のようにどんどん大きくこね回していき、両親とも少し距離を置くようになりました。

あれは29歳。僕にも子供が生まれ、父になりました。両親にとっては初孫。子供を抱く時、なんだか居心地悪そうに、申し訳無さそうにする父に、こちらまでみじめな気持ちになるからやめてほしいと思ってました。もっと堂々としてくれよ、と。またあの世界に引き戻される気がしてどんよりした気分だったのを覚えてます。

それから6年。
先週、お年玉をもらったお礼をしようと子供と一緒にLINE電話をしました。最近お刺身が食べられるようになり、口を開けば、マグロ!マグロ!という息子の為に、市場に行って海鮮丼を食べてきたんだという報告をすると、
「いいねぇ。うちは仕事してたらあっという間にお昼過ぎて、カップラーメンで済ませたよ」
と母。この時は、へー、という感じでした。

そして今日。
仕事終わりにランニングしようか、いや、でも寒いし今日はやめとこう。そう思った瞬間に、ふと先日の母の言葉が蘇ってきました。
両親は土木関係の仕事をしています。何回か手伝ったことがありますが、とにかく夏は暑く、冬は寒い、過酷な仕事です。僕が寒すぎてランニングを諦めた今日も、きっと外で立ち仕事をしています。その姿を想像したら、今までどれだけ自分だけに意識が向いていたか、いかに子供だったか、電流が流れるような衝撃でした。そんな生活何十年もできます?僕はできません。
最近は、孫の為にと服やお菓子、いろんなお祝いにお金も良く送ってくれます。本当はずっとこういうことをしたかったんだろうな。それが出来なかったあの頃を父と母はどう捉えてるんだろう。そこには、還暦を過ぎて、外仕事に精を出し、孫との収穫を楽しみに野菜を育てる一組の夫婦がいるだけです。恨んで一体誰が得をするんだろう。ふと両親の幸せを願う自分がいました。

実家に泊まりに行くと、僕の知らないところで母と妻がよく二人で話をしているのですが、母は僕のことを本当に良く知っている。口には出さないけど。ようやく、愛を受けて育ったんだと気づけました。
ちなみに、親は絶対的な存在であって欲しいと願っていた僕が辿り着いたのが妻でした。出会って10年になるけど、僕が貯金ゼロの時も、体を壊して働けなくなった時も、仕事が上手く行って天狗になっている時も、1ミリもぶれることなく愛してくれたのが妻でした。僕はやっと自分の居場所を手に入れた。そう思った矢先、ようやく親への感謝にも気づけました。僕は幸せ者です。

今度の週末は、両親が仕事で使える防寒具を子供たちと一緒に買いに行こう。
じいじばあばに似合いそうなやつを子供たちにチョイスさせよう。
3歳の次男坊はきっとファンキーな色をチョイスするだろうけど、それも愛でしょう。

今まで嫌だったことは全部ここに書きました。
まずは、僕をここまで連れてきてくれた反骨心や危機感、それを創り上げた環境に感謝。
そして、
両親へのネガティブな気持ち
子供、としての自分
誰かに劣っている自分
から、本日を以て

卒業。

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