関係者の方、クラウドファンディングでご支援していただいた方に送ったDMを公開します。
展覧会もオープンしたので、関係者の方やクラウドファンディングでご支援していただいた方に送ったDMに添えたお手紙を、若干アレンジしてnote でも公開したいと思います。こちらは展示に関するハンドアウトとして会場でも配布しています(モノクロ印刷ですが)。でも、会場に行かれる方は、先に読んでおいてもよいかも、です。
秋水とM-02J(とアメリカ、そして木村秀政先生と四戸哲さん)のお話。
こんにちは。
2019年にアメリカのオシュコシュエアショーでHonda Jet以来となる「日本の独自設計の飛行機としてM-02Jが飛んだ」話は、日経ビジネスほか、いろんなところでしたので、今日はどこにも話していない話からはじめたいと思います。
オシュコシュエアショーは、7月下旬に1週間開催される大規模なエアショーなのですが、金曜日の夜、特別なナイトエアショーとして「大規模爆撃ショー」があります。オシュコシュエアショーは、民間の自作機航空連盟、EAA主催なので、米国のエアショーの中ではおそらく「最もミリタリー色の薄い」エアショーなのですが、それでもB-29、B−25、コルセア、ムスタングなど第二次大戦中の機体から、今でもバリバリ現役のA-10、そして現在最強の戦闘機と言われるF-22まで、さまざまな機体が参加し、デモフライトします。昼間にも爆撃のデモもやったりしますが(もちろん本当に爆弾落とすと滑走路が痛むので、ダイナマイトを使った演出としてやるのですが)、金曜日の夜、より大規模にショーアップして「大規模爆撃ショー」をやるのです。
もちろん、こちらは「空爆された側」ですから、当然良い気はしないので、その日は早めに帰りました。翌日「実際に空襲を受けた君たちの前でこんなことをやるのは野蛮だと思うんだけど…」とか言ってくれる紳士もいたのですが「いや、これはアメリカの皆さんのためのエアショーだから気にしないで」と伝えました。ただその日の夜、夕食を買ったスーパーマーケットで、会場であるウィットマンエアポートの上空をみると、雷鳴のような雲の照り返しが見え「本当の戦争のときにはあの下に民間人もたくさんいたのだけど…」となんとも言えない気持ちになったのを思い出します。
ちなみに、無人島プロダクションの近くの大きな都立公園、猿江恩賜公園ですが、あそこは1945年3月9日の東京大空襲で亡くなった民間人の仮埋葬地として使われたところです。当時の米国の爆撃資料に、現在のGoogleMapを重ねてみました。1945年3月9日の空襲目的地のほぼ中心に、無人島プロダクションは位置しています。
<上図の濃いグレー部分が3月9日の東京大空襲の攻撃目標。中心のマークが無人島プロダクション>
それでも、2019年にアメリカに行ったのは、本当に良かったと思っています。そこではじめて「アメリカに住む人たちの愛国心」がどういうものか実感できたから。パトリオティズムというのかな。アメリカ国歌にもありますが「自由と自分たちの身は自分で守る」「そのために身を捧げた軍人には経緯を払う」というような「国を愛し、社会を良くする」意識が保守やリベラルとかの立場とまた別に存在し「国を愛するのは米国に住む人には備わっていて当然」という前提が、アメリカのベースにあるんだな、ってのが良くわかったから。
まあ、だからこそ色々複雑で解消しにくいアメリカの分断を2020年に見ることにもなるわけですが…
2020年冬、千葉県柏市の柏の葉で「柏飛行場と秋水」という展覧会を行いました。
今回の無人島プロダクションでの展覧会「秋水とM-02J」は、この続編にあたります。
「秋水」は、第二次大戦末期にわずか1年の短い期間で開発された「B-29迎撃専用の戦闘機」でした。柏飛行場は秋水の実戦配備時の運用基地で、首都防衛ラインとして設定された飛行場です。
秋水はドイツのMe163Bをベースに設計され、機体は水平尾翼のない無尾翼機で、丸い胴体は一見するととても愛嬌がありますが、このデザインの理由は過酸化水素水とヒドラジン水溶液のふたつの燃料…両方とも劇物なんですが、これを2トンも機体重心位置に搭載するためでした。
つまり、秋水は通常のプロペラ機ではなく、ロケット戦闘機なのです。「ロケット機に人がパイロットとして乗る」それは2021年の現在でも日本では達成されていないプロジェクトなのですが、秋水は76年前にたった1年でそれをやろうと試みた機体なのでした。もちろん無謀ではあるのですが、そこまで追い詰められていた当時の戦況の反映でもあり、そんな秋水は僕自身、飛行機のプロジェクトを始めてから、ずっと気になっていた、特別な航空機でした。
先程述べたように、秋水はMe163Bというドイツ機をもとに、機体とロケットエンジンは三菱航空機で設計・製造されました。しかし、先行して昭和13年(1938年)、無尾翼機のグライダー機が千葉県津田沼、そして柏飛行場で飛んでいました。名前は「HK1」。萱場製作所の所有の機体です。(下記写真がHK1)
ここは現「KYB」としてショックアブソーバーやサスペンションなどを作っている企業です。創業社長 萱場資郎氏が、海釣りのときに沖でよく見かけた「かつおどり」をモチーフに無尾翼機を作ることを思いつき、当時東大航空研究所で世界記録を狙うべく「航研機」の設計をしていた、木村秀政氏に依頼して設計した飛行機でした。
ちなみに木村秀政氏は、映画「風立ちぬ」の主人公で、実際に零戦の設計者である堀越二郎氏とは東京帝国大学工学部航空学科の同期生です。(ふたりは実際は本庄季郎氏の後輩になります)
<映画「風立ちぬ」から。堀越二郎と本庄。>
HK1は日本で最初の無尾翼機ですが、木村秀政氏の設計の腕もあり、思ったよりも安定性もよく、ゴム索および飛行機曳航で182回ほど飛んでいます。萱場氏の構想は、将来的には無尾翼機にジェットエンジンをつけた機体を制作することでした。つまりM-02Jのような機体を80年前に構想していたわけです。
木村秀政氏と秋水、そして柏飛行場
木村秀政氏が直接的に秋水の設計に関わったというわけではないようですが、実はHK1の無尾翼機の設計を三菱は参考にした、という説もあります。また無尾翼機の実績や、航空機に対する豊富な知見を買われ、1945年の春くらいから、当時の陸軍航空審査部 特兵隊隊長 荒蒔義次隊長に請われ、木村氏は柏飛行場に滞在し、訓練飛行の分析や設計へのフィードバックなどを行っていました。下の写真はそのときのもの。眼鏡をかけ、テストパイロットから聞き取り調査をしているのが木村秀政氏です。
通常、軍事基地では機体や基地内の写真を撮ることは許されません。しかし木村氏は特兵隊荒蒔隊長の信頼もあったようで、柏飛行場や秋水滑空機「秋草」の詳細な写真も撮っています。「柏飛行場と秋水」展の裏のテーマは「木村秀政氏の写真展として構成すること」でした。
そこで、東大で「記憶の解凍プロジェクト」を行っている 渡邉英徳さん、「この世界の片隅に」監督の片渕須直さんにご協力いただき、なるべく事実に忠実なカラー化を目指しました。
<聞き取り調査をする木村秀政氏と特兵隊パイロットたち。左から二人目が、木村秀政氏(1904〜1986年)。
撮影者不明 所蔵:田中昭重 提供:柴田一哉 会場のカラー化写真は全て:渡邉英徳(「記憶の解凍」プロジェクト)>
そして今回の「秋水とM-02J」展の話として、四戸哲さんの話をします。
展示するM-02Jは実際にジェットエンジンで飛行する無尾翼機ですが、この機体を実際に設計・製造したのは、青梅にある小さな会社、オリンポスの四戸哲さんです。オリンポスは、おそらく日本で唯一、この手の小型の飛行機の設計ができる会社なのですが、創業者の四戸さんと木村秀政氏は、少なからぬ縁があります。
そもそも木村さんが戦後教鞭をとっていた日本大学 理工学部航空宇宙工学科で四戸さんは学んでいますし、また自身の会社オリンポスを設立するとき、木村秀政さんはこの会社の顧問を引き受けています。航空機開発には莫大な予算が必要になります。日本の航空機業界再建を志すものの、まだ信用のない若者の会社のために、木村氏は一肌脱いで、開発費獲得に協力していたのでした。また四戸さんと木村秀政氏は、それ以前にも縁があり、四戸さんが高校生のころ、青森で木村秀政さんの講演が開催されました。唯一の国産旅客機、YS11設計の技術委員会代表であった木村秀政さんは、当時高校生の四戸さんにとっては憧れの存在であり、講演後運良く直接の対話にこぎつけた四戸さんと木村さんは意気投合し、周囲の大人がハラハラする中、長時間話し込んだそうです。そして木村さんは「うちの大学に進学しなさい。そして飛行機の設計を学びなさい」と言ってくれたそうです。それが、彼の将来を決めたのでした。
17歳の少年と本気で対話し、創業時にも協力した木村秀政さん(オリンポス創業の翌年、木村秀政氏は亡くなってます)。その結果として、HK1から80年の時を越えて、M-02Jはここにあるのです。
飛行機を軸にして「縁」を見せる。今回はそういう展示になるのかもしれない、とも考えています。
同期の飛行機たちのお話。
最後に同期の飛行機たちの話もしましょう。アイドルみたいですが、2016年デビュー組の飛行機たちがいます。日本では航空機の新規開発は現在ほとんどなされていないのですが、2016年には偶然3つの機体が初飛行を公開していました。以下の3機です。
「MRJ」(小型旅客機の試験機。初飛行2015年11月〜飛行再開2016年4月)
「X-2」(防衛省技術研究本部の実験用試作航空機。初飛行2016年4月)
「M-02J」(自作航空機。初飛行2013年、公開の場周飛行2016年7月)
この3機が今どうなっているかというと、ご存知のとおり、MRJ改め三菱スペースジェットは2020年10月以降、事実上の開発凍結状態にあります。X-2は2017年の10月に試験飛行を終了し、その後は格納庫でごくたまに静止展示をするのみになりました。
つまり「2016年組」の飛行機のうち、現在も飛行可能な、つまり「生きている」機体はM-02Jだけだったりします。そのM-02Jも、滑空場の運行停止などもあり2020年はお休みの年でした。2021年、新型コロナウイルスがどうなるかは予測が難しいのですが、パイロットも飛行機も「活かす」ためには定期的に飛ばす必要があります。M-02Jの最後のフライトは2019年8月のウィスコンシン州、ワウパカのフライトなので、2021年は国内のどこかで必ず飛ばすつもりです。ただ、それを公開できるかというと、この新型コロナの環境下ではかなり難しいのが現状です。その点では今回の展覧会は、今年機体をお見せできる数少ないチャンスになるかもしれません。
その展覧会でさえ、積極的に「来てください」とは言いがたい状態ですので、先の「柏飛行場と秋水」展同様、今回もネットでも見れる動画や記事コンテンツを用意するつもりです。でもそれはそれとして、実物を目にしてはじめて伝わるものがやはりあります。またネットで公開できない資料も会場には展示します。
ですので、改めてこの手紙をお送りしている特別な皆様には言わせてください。
「ぜひ会場でご覧ください」と。
<2019年8月、米国ウィスコンシン州ワウパカ市営飛行場でのフライト>
どうぞよろしくお願いいたします。
(八谷和彦)