ミュートスとエートス

来年の6月に『オペラ座の怪人』をコンセプトとしたピアノ演奏会を主宰することとなりました。
具体的に説明すると、ピアノの演奏と演奏の間に、アテレコされた音声付きのスライド劇が展開されるというものです。

さて、パリとヴェネツィアのマスカレードに子供の頃から憧れを抱いている私にとって、ミュージカル版の『オペラ座の怪人』は憧れの心を充足させるもので、大好きです。ミュージカル25周年記念公演のBlu-rayは何度も繰り返し観ていて、パリに行ったときには5番ボックスを観て感動し、ロンドンでは英語版の『オペラ座の怪人』をHer majesty’s theatreで堪能しました。
そうなるとせっかく主宰する演奏会でも、劇の脚本を書きたいな、と思いました。

話は半年以上戻り、私は4月から1年間かけて小菅隼人准教授のシェイクスピアについての講義を聴講しています。「シェイクスピアは一番大切な教養である」という氏のお話を信じ、シェイクスピアについては何も知らないままに聴講を決めた4月が懐かしく思われます。この授業では演劇としてのシェイクスピアについて、様々なテクストと視点を使い分析するのです。シェイクスピアにも演劇の分析にも疎かった私にとってこの講義はシェイクスピアへの導入であるとともに、果てしなく広がる演劇の世界への手引きでもあったのです。
この講義では古代ギリシアのアリストテレスが『詩論』において述べていることも説明されていて、それはまさに全ての演劇は『詩論』から始まるからだと氏は仰います。
さて、アリストテレスによる演劇の三要素とは、ミュートス(筋)とエートス(人物)とディアノキア(思想)です。ミュージカル『オペラ座の怪人』について、この3点を考えたとき、特にミュートスが有名でしょう。それは、ミュートスが素晴らしいので当たり前のことなのかもしれないでしょうけれど。
ただ、エートスについてはどうでしょうか。強烈な個であるファントムは憶えていたとしても、クリスティン(クリスティーヌ)やラウルについて、所謂「オペラ座オタク」以外の人にイメージはあるでしょうか。
6月の演奏会で私が『オペラ座の怪人』のために還元すべきものは、エートスを深めた再解釈をすることなのではないかと思いました。このmasterpieceを、ミュートスに隠れながらも沸々と存在する、この強烈なエートスを浮き上がらせるように再構築させたいと思います。

ここに覚書として、そして決意表明として、記します。

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