君の日本語はカッコよすぎる

昨年の9月から論文執筆をしていて、第1校を12/31に脱稿した。文字数は7500文字程度の軽い論文で、内容はアメリカ人のパリ観についてのものだ。
そして今日、指導教員から講評を頂いた。「君の日本語はかっこよすぎて、僕には理解できない。論文の言葉は、誰にでも理解できないように書かないといけない。」と単刀直入に言われた。
どうも、「ヘミングウェイにとって、パリは戻る場所ではなく、帰る場所なのだ。」と記述したことについて、「戻る」と「帰る」には違いが無いのではないか、というのが、先生が一番気にした点らしい。

きっと、教員は皮肉をこめて「かっこいい」と言ったのであろう。ただ、私は、自分が「戻る」と「帰る」を明確に使い分けられる人間であって良かった、と思った。論文では確かにその使い分けは伝わらないのかもしれない。しかし、そこには間違いなく差があると思う。
「戻る」の持つ無機質さと、「帰る」の持つあたたかさ。決して同義として使用せんとしない自分の感性に、安堵した。論文にその使い分けを求めてしまった恥ずかしさよりも強く。
皮肉を言われて嬉しかった記念に、自分の感性の備忘録として、ここに記す。

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