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【コトダマ009】「世の中に分かりやすい本など・・・」

世の中に分かりやすい本などない。分かりやすく読んでいるだけだ。

近藤康太郎『百冊で耕す』p.193

昨日に引き続き「わかる」ことについてのフレーズです。ただし、方向性は昨日とまったく逆ですが。

「本」についての言葉ですが、当然このことは「人」についても言えますね。わかりやすい人なんていない。ただ、その人の枠内で「わかりやすく」理解しているだけなんです。

もちろん支援に携わる人なら、クライエントのことをなるべく理解したいと思っていることでしょう。その気持ちは、とても大事です(このことについては、昨日のコトダマでご紹介しましたね)。でも、同時に、その人を完全に「わかる」ことなど、ゼッタイに不可能であるということにも、私たちは向き合わなければならないのだと思います。

心理学に「ダニング=クルーガー効果」というものがあります。「能力の低い人や経験の浅い人が、自分の能力を正しく認識できず、自分を過大評価すること」ですね。初学者が少し知識を身に着けると「自分は何でも分かっている」と思い込み、妙に自信満々になることがありますが、アレです。

私の身近な例では、福祉事務所に異動して半年くらい経って、生活保護の知識をある程度身に着けた職員が、ものすごく自信満々に生活保護の知識をひけらかしてくることがあるのですが、そういう時はいつも「あー、これってダニング=クルーガーだな~」って思いながら眺めています。で、数年経って知識が深まってくると、逆に「俺って何にも分かってなかったんだ・・・」って思うようになる。本当はそこから「真の知識」を身に着けていくのですが、自治体職員の場合、残念ながらそのあたりで異動してしまうことが多いんですよね・・・。

で、この「ダニング=クルーガー効果」って、対人理解の場面でも見られると思うんですよ。特にクライエントが特徴的なパーソナリティだったり、何らかの精神的な障害をもっていたりすると、そこだけを見てその人を理解した気になってしまう。でも、そこを乗り越えて深くかかわっていくと、今まで予想もしていなかったような側面が見えてきて、「ああ、私はこの人のことを何にもわかってなかったんだな」って思う時期がきます。

本当はそこからが、クライエントとのかかわりの出発点なのだと思います。そういうことを繰り返すうちに、気づかないうちに私たちの心が耕され、豊かな土壌がはぐくまれていくのだと信じたいですね。

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