「With Ribbon」と「出会って5分は俺のもの!時間停止と不可避な運命」の考察のようなもの

※両作品ともプレイ済みの方が読まれるのを前提としてこの記事を書いているのでネタバレしかありません。未プレイの方は、両方プレイしてから読んでいただくことを強く望みます。


 この記事では、美少女ゲームブランド・Hulotteから出ている「With Ribbon」と「出会って5分は俺のもの!時間停止と不可避な運命」(以下、俺不可避)の2作品について、その作品の中のSF部分に関する考察を進めていきます。同時に、SFラブコメ的観点から見た日向はるかと柊白亜の魅力、というテーマについて、当方の考えを述べたいと思います。
 ちなみに何故こんな記事を唐突に書いたかというと、これまで当方はSF要素のあるラブコメのSF設定はあまり注視せず、物語表面だけをなぞっていましたが(それはそれで楽しめましたが)、SF部分をじっくり考察することで、その作品の物語に対する理解が深まり、より面白く感じられるのではないかと考えたためです。また、なぜWith Ribbonと俺不可避の2つを題材にしたかというと、直近でプレイしたSFラブコメのエロゲであることと、どちらも愛着がある作品なのでこれを機にもっと好きになろうと思ったことが理由です。ただ、この記事を読んだ人もぜひWith Ribbonと俺不可避をさらに好きになってもらえれば本望です。


 改めて書くことではないかもしれませんが、まず両作品のあらすじについて、簡単に説明します。
 最初にWith Ribbonについて。With Ribbonは、主人公=日向翔太郎のもとに翔太郎の娘である日向はるかが、「翔太郎の恋の応援をする」という目的を掲げてある日未来からやってくる、というものです。はるかはタイムリープできる能力を持っており、翔太郎がヒロインと恋仲になれるまで、最適な選択を翔太郎ができるよう何度も時間を巻き戻します。ヒロインと結ばれた後は、翔太郎とヒロインの距離を縮めようと奔走したり、2人の成長を見守ったりし、最終的には翔太郎たちに別れを告げて未来へと帰っていきます。以上がWith Ribbonのざっくりとした概要です。
 次に、俺不可避について。俺不可避は、主人公=黒瀬悠真のところに柊白亜という謎の少女が突然現れ、アトロポスウォッチと呼ばれる道具を渡すところから物語が始まります。アトロポスウォッチは時間を止めることができる道具でした。このアトロポスウォッチの登場が切っ掛けとなって、悠真と周囲のヒロインたちとの恋物語が動いていく、というのが俺不可避の大まかなあらすじです。


 ウィズリボンは時間遡行である一方、俺不可避は時間停止がコンセプトですが、いずれにも時間を巻き戻して過去に戻る描写があることから、ここではタイムトラベルものとして同様に考えることにします。タイムトラベルものでは、過去・現在・未来それぞれの関係性の解釈が作品によって異なり、その解釈次第で作品のストーリーも多様に変化します。そこで、両作品におけるこの過去・現在・未来の繋がり方はどうなっているのか?ということを考察の軸にして、以下では話を進めていきたいと思います。


 With Ribbonの特長に、翔太郎と接するヒロインが異なると、それに応じてはるかの性格や口調がコロコロ変わるというのがあります。例えば翔太郎が陽奈と喋っているとき、隣のはるかは明るく朗らかな性格になり、逆に沙蘭と喋っているときは、丁寧な口調で落ち着いた物腰のはるかになります。作中では、ヒロインと親しくしているとはるかの母親になる確率が上がり、そのヒロインの血の影響が未来のはるかに反映されるため、という一種の好感度のバロメータとなっていることが説明されます。ここからわかるのは、はるかから見た過去、すなわち翔太郎のいる現実におけるその時々の改変に応じて、はるかのいる未来は流動的に変化しているものと考えられます。仮に陽奈の娘としてのはるかが過去にやってきたとすると、沙蘭のような性格・口調で振る舞うとは考えにくいです。これはつまり、一続きの時間軸上で、はるかはタイムリープしている、という可能性が高いことになります。また、沙蘭ルートではるかの娘、すなわち翔太郎の孫であるユウが登場し、もし自分がタイムパラドックスを引き起こしたとしても違う時間軸に分岐すればいいと釈明しますが、それを聞いたはるかは「まだ私の時代にはそのような研究は進んでいない」と驚いていたことからも、はるかは同じ時間軸上で過去に戻ってきたことが伺えます。 

 ちなみに、この異なる時間軸の存在を仄めかすような、はるか自身も想定外の事態も場合によっては起きるそうです。陽奈ルートでは、陽奈と結婚する未来が確定した状態から、自分は華澄の娘だと言い張るはるかが新たに出てきます。これは、陽奈と結婚することが確定している時間軸上において、わずかながらも翔太郎と陽奈の間に溝が生まれ翔太郎の心が華澄に傾いたことで、華澄と結婚する未来が確定した時間軸上のはるかが迷い込んでしまったことが原因、ということでした。未来が流動的な姿を持っているがゆえに発生した矛盾がどうかは判明しませんでしたが、いずれにしてもはるか自身がどうこうできる問題ではなく、最終的には翔太郎の母親=久遠が一枚噛むようなかたちで解決しました(久遠については、澄香ルートで時間を操作できる能力をはるかと同じように持っていることが判明しますが、はるかと翔太郎たちが行うタイムトラベルにどこまで絡んでいるかについては作中で明示されていないところです)。
 

 With Ribbonにおける過去・現在・未来それぞれの時間的な繋がり方に関する解釈の裏付けとなる根拠ではありませんが、作品のSF色を強くし過ぎずかつあくまでラブコメを前面に押し出すことに有利に働く作中の設定として、「はるかは自分が本来いた時間に関する記憶をタイムスリップ時に失っている」というものがあります。唯一の未来人であるはるか(ユウというキャラもいますがほとんどのルートでは出てこないのでここでは例外とする)が未来にいた頃のことを何も覚えていないため、未来がどうなっているかが物語上わかりようがありません。つまり現実の時間軸において、翔太郎やヒロインが成長したり、夢を見つけたりするようないかなる改変(はるかから見れば過去の改変)が行われたとしても、その改変を織り込んだ未来がはるかがいた本来の時間軸になるわけであり、未来のはるかの記憶、あるいは未来での出来事は、どのようにも書き換えられる、という見方が可能です。これにより、現実の時間軸において、はるかの介入を切っ掛けとして翔太郎たちの恋愛だけでない、色々なストーリーを不整合なく展開できるわけです。



 
 では、俺不可避はどう解釈するのが妥当でしょうか。そもそも、白亜が悠真にアトロポスウォッチを渡したのは、悠真の運命を悠真自身が変えられるような切っ掛けを提供するためでした。悠真の運命というのは、復元細胞の研究をする道に進み桜良の脚を治すものの、過ぎ去ってしまった桜良の時間は取り戻せず、瑠璃との結婚も歪んだ想いの下に成され、最終的には悠真自身も鬱屈とした心がもとに戻らないという、誰も幸せになることがない運命です。つまり、アトロポスウォッチが関与しない本来の時間軸上における悠真の未来がすでに確定されている状態から、物語は始まるわけです。これは、未来が流動的に変化する中で母親探しをするWith Ribbonとは明らかに異なる前提です。また、瑠璃ルートにおいて白亜は、自分が行う干渉は未来に揺らぎが見られる今が好機、といった主旨の発言をしています。すなわち、本来の未来を回避するような時間軸上への分岐が、白亜の介入およびアトロポスウォッチの関与によって生じた、ということが読み取れます。以上のことから、俺不可避においては、一続きの時間軸上で過去から未来へ変遷する考え方のWith Ribbonとは異なり、新しい未来は全く別の時間軸上に分岐するパラレルワールドのような考え方が最も妥当であることが示唆されます。


 一方で、俺不可避には「白亜はアトロポスとして世界の観測者側に立っている」という設定があります。悠真と花音の会話の中で喩えられる、動画(=悠真たちがいる時間軸)の外側にいる存在、それが白亜です。悠真の従姉妹であった在りし日の白亜は、自身の余生が短いことを察してアトロポスとなる道を選びました。この時点で白亜は、悠真たちがいる時間軸上でもパラレルワールドで枝分かれしたどこかの時間軸上でもない、全く独立した世界線にいる人間となり、悠真たちの世界におけるイレギュラーな存在となったのでした。With Ribbonのはるかが翔太郎のいる時間で改変ができる一方で、イレギュラーなアトロポスとなった白亜は悠真のいる時間の住人ではないわけですから、改変ではなく干渉するレベルでしか悠真の人生に関われないわけです。さらには過度な干渉は改変とみなされ、バッファーとしての世界によって、白亜は悠真のいる時間軸上から弾き出されてしまいます。

 白亜が排除されるのが世界の修復機能によること、というのも重要なポイントです。これはつまり、全く独立した世界線にいる白亜は、過度な干渉によってもパラレルワールドへ分岐させることはできず、あくまでパラレルワールドへの分岐は悠真自身が引き起こす改変でのみ可能である、ということを意味しているものと考えられます。パラレルワールドに逃げられない以上、現在の悠真のいる時間軸が本来確定されていた未来に辿り着くために世界の修復機能が働き、白亜というキャラは消えてしまうわけです。そんな中で、世界の修復機能を覆し、悠真たちと同じ時間軸上で白亜が存在していられることが許容されたのが瑠璃ルートや白亜ルートで見られた展開だったのでした。



 ここまでで、With Ribbonと俺不可避とで、過去・現在・未来の時間それぞれの関係性を異なる解釈で作品に組み入れている可能性を述べてきました。いずれにおいても、With Ribbonのはるかと俺不可避の白亜は、それぞれの作品がタイムトラベルものたりえるための重要なキーパーソンであることは間違いありません。彼女たちがいなければ、時間を巡る物語は始まらないわけですから。ただ、そのSF的な立ち位置は2人とも異なっているのも事実であり、そしてだからこそそれぞれに異なった魅力があると思います。


 先述したように、はるかは過去に戻ってきた時点で、母親が誰だったかも含め未来にいた頃の記憶がありません。そして、ゼロからのスタートだからこそ、いろんなかたちで思い出作りを翔太郎たちと出来るわけです。娘という立ち位置にこだわらず、ある時は友達のような存在として、またある時は姉妹のような存在として、翔太郎やヒロインたちと同じ時間を過ごします。With Ribbonのはるかは、何といってもすでに確定された家族であり、同じ時間軸上にいる存在であることが、最大のポイントであると考えます。未来に帰る際もはるかは記憶を失くしてしまうのかはわかりませんが、現実の翔太郎たちにははるかとの思い出は残ります。同じ時間を共に過ごしたはるかは、紛れもない未来の娘であることが保証されているわけです。はるか自身はエロゲのヒロインではありません。ですが、主人公とヒロイン間の橋渡しをするような恋のキューピットとしてだけではなく、その2人が辿り着く幸せな未来を自身の存在を以てして証明する、いわば妖精のような魅力が、はるかというキャラにはあると思います。


 一方で俺不可避の白亜は、物語開始時点ではアトロポスという異なる時間軸、異なる次元の人間である状態になっており、手の届くところにいない、結ばれることのない存在でした。しかし、はるかとは異なり、白亜にはヒロインとしてルートが用意されていました。先述したように白亜ルートでは、世界の修復機能を覆すような奇跡が起こり、悠真のパートナーとして同じ時間軸上での存在が許されます。その奇跡が、悠真と白亜の間に子供を授かったというものでした。イレギュラーな存在である白亜のお腹の中に、イレギュラーではない存在の悠真の血が流れた子供がいるということは、その命をお腹に宿している白亜を世界は修復によって排除できない、という見方ができます。この人体の奇跡により、2人の子供が誕生するという未来が確定事項となったため、悠真と白亜が結ばれるパラレルワールドへの分岐が可能となったと考えられるわけです。アトロポスという設定はすべて、この白亜ルートで見られたような、まさしく世界線を飛び越えるほどの愛情の力の実現、そういった演出のためのものと言っても過言ではないと当方は考えています。白亜というキャラの魅力はこの設定にこそ詰まっていると思いますし、白亜の姿を通して伝わってくる、相手のことを想い続けるという純愛系のラブストーリーに立ち返って考えてみた時の大切な要素は、SF色が濃厚である本作でも決して色あせて見えることはないはず。そう考えております。



 冒頭でも述べたように、SFラブコメに触れる際、あくまでラブコメディを楽しみたい当方にとっては、SF要素は物語が動き出す切っ掛けに過ぎないものとしてこれまでは考えていました。ただ、今回のようにそのSF部分に焦点を当ててあれこれ考えを巡らせたことで、プレイ当時とはまた違った視点から作品の面白さを堪能することができました。正直なところSFというジャンルには明るくないので、考察は穴だらけかもしれませんが、このような試みを初めてやれたことは当方にとっても新鮮で、いろいろと考えるものがありました。つまり何が言いたかったかというと、SFラブコメは面白いということと、With Ribbonと俺不可避は良いゲームだったという、この2点です(結局そこ)。


 というわけでここまでお付き合いいただいた方、本当にありがとうございました。





ーーー以下、余談

 以前、とあるフォロワーの人が示された「タイムトラベルのように相手の感情や行動を操作することが可能な、対等とは言えない関係性を構築した場合に、それは果たして恋愛と呼べるものなのか」という考えに頭を強く打たれたような衝撃を感じました。その時は恋愛にも色々形があるものだよなあと自分で自分を丸め込みましたが、共感はさておくとして自分の中に新しい物の見方が生まれたのは間違いありませんでした。恋愛モノに対して一家言お持ちの方の見解は大変に重みがあります。