気づくとわからなくなる ― 目 [mé]  非常にはっきりとわからない ― ネタバレあり感想

 千葉市美術館にて2019年11月2日(土)から 12月28日(土)に行われている現代アートチーム「目[mé]」による個展『非常にはっきりとわからない』に行ってきました。

 現代アートチーム「目[mé]」とは
 
 果てしなく不確かな現実世界を、私たちの実感に引き寄せようとする作品を展開している。手法やジャンルにはこだわらず、展示空間や観客を含めた状況、導線を重視。現在の中心メンバー(アーティスト荒神明香、ディレクター南川憲二、インストーラー増井宏文)の個々の特徴を活かしたチーム・クリエイションに取り組み、発想、判断、実現における連携の精度や、精神的な創作意識の共有を高める関係を模索しながら活動している。 (以下略)

 『千葉市美術館展覧会情報』より

  なぜネタバレあり感想を書くのか

 実はここまで話題になる前に一度、展示を見に行ったことがあります。
 その時、会場のエレベータの扉が開いた時の会場全体の仕掛けを面白く感じたと共に、やはりその展示では分からない部分をいくつか抱えて千葉市美術館を出ました。
 twitterでも千葉市近辺に住む人たちや『目』に関心のある人たちだけが、この展示について様々な感想をネタバレを避けてつぶやいているだけでした。
 その曖昧とした文章を読みながら秘密を共有しているという暗い楽しみも感じていましたが、時間が経つにつれてこの展示についての状況が変わっていくにしたがって認識が変わっていきました。
 12月初旬、もう一度、分からなかった部分を確認しに千葉市美術館に行ったときに、閉館3時間前だというのに入り口をチケットを求める列が出来ていることに驚きました。
 それはtwitterのあるツイートが注目されたことが原因だと後で知ったのですが、口コミによりこの展示会に多くの人が来ているのであれば、この展覧会は一つの成功を収めていると言えるのではないでしょうか。
 しかし、また同時に大きな関心を寄せると共に、その「わからなさ」の為にこの展示会にネガティブな印象を持ってしまう人たちがいるのも知りました。
 それも仕方のない事です。展示内容について明らかにされておらず、また鑑賞者たちがネタバレを公開せずに感想をことが一つの楽しみとなってしまっていることで、そもそもの展示内容の賛否が無視されてしまっているからです。

  twitter上で”いいね”が多くついている感想の一部を抜き出しただけでも……
 「世界の認識がガラリと変わってゾッとします
 「不安になって泣いてる女の子もいたくらい
 「2往復ぐらいして見たけど気が狂うかと思った
 「外に出たとき強烈な不快感に襲われたほど
 「自分が今どうあるのかわからないぐらぐらするような感覚でした
 「ある瞬間に立ち会った瞬間、ゾッとしました
 などなど……

 確かにこの展示会は体験した人にそれぞれの発見と不確かさを与える、それでいて、この仕組みを2ヶ月間も実現することに対しては素直に称賛できるものなのですが、興味がある人に対して余計な不安を与えてどうする。とも思ってしまいました。
 また前情報では何もわからない展示会にまつわるある事件が起きたことも、ネタバレ厳禁の展示会に対する不信感を募らせる要因にもなっているはずです。

 5月6日から6月17日(筆者注:2017年のこと)まで東京のギャラリー「ART&SCIENCE GALLERY LAB AXIOM」で開催された「BLACK BOX(#ブラックボックス展)」は3万人以上の来場者が詰めかけ、最終日には国内ギャラリーでは過去類を見ない6時間待ちの行列ができるほどの盛況をみせたが、後に会場内での痴漢被害を訴える女性が現れるなど、展覧会の枠を超えた騒動を引き起こした。そこで同展主催者である「なかのひとよ」に、展覧会で発生した経緯について話を聞いた。

 美術手帖 - 「ブラックボックス展」とその騒動はなんだったのか? 主催者「なかのひとよ」に聞く -

  私は千葉市美術館の「非常にはっきりとわからない」を面白いと感じました。出来れば12月末までに多くの人が見に行ってほしいと思っています。しかし、どのような展示がされているか知らない状態では見に行けないという人や、そもそも千葉市美術館に行くことが出来ない人たちも少なからずいることも事実です。
 ネタバレをすることによって、この展示会について興味を失ってしまい来客数を減少させるのではないかと危惧する人たちもいると思いますが、それ以上に会場に行こうと思っている人たちが何の不安もなく、その展示会を体験して、その仕掛けについて素直に感じてもらう方が大事だと思います。

 そもそもこの「ネタバレ厳禁」という縛り、本来はメディア関係者に対して敷かれていたものだったのです。

 展覧会の会場は1階と7階、8階ですが、鑑賞者の導線を規定したくないということで、プレスにも1階以外は写真撮影もNG!観た内容も非公開とかん口令がしかれました。
 (中略)
 筆者も言いたいことは多々あるし、「会期中に〇〇〇〇となるのでは?」など様々な予想はしていますが、実際のところは時が経ってみないと分かりません。兎に角、固く内容については伝えないで欲しいと嘆願されたので、みなさんも千葉市美術館に行って自分の目で確かめてください。

 artlogue - 荒神明香 等[目]謝罪会見? 千葉市美術館で「目 非常にはっきりとわからない」はじまるが記者からの質問には非回答 -

  そして、「目」 の人たちは鑑賞者にネタバレ厳禁と敷いているわけでもありません。

 「目」のメンバーは、今後、観客がどのように反応し、SNSなどで発信するかを楽しみにしているとのことです。

 同上サイトより

 しかし、余計なネタバレ厳禁が一般鑑賞者に対してもかかっている為に、twitter上では「非常にはっきりとわからない」が開催されてから1ヶ月経った今も、漠然とした感想しか上がっていないのが現実となっています。
 よく注意して探せば、ところどころネタバレしているツイートを見かけますが、今度はそのネタバレ部分だけに意識が向けられており、その鑑賞者が「その仕組みを見たことによって、なぜそのように感じたのか」という具体的な感想が書かれていないというとても残念な結果になっています。
 やはり、その仕組みに対しての感想は賛否両論出てくるべきであるわけで、映画や舞台などと同様に、上演中であろうと上演後であろうとその感情を制限されることがあってはならないと思います。

 実のところ、そういう文面を見た後でもネタバレしてもいいのか不安だったので、2回目来場時に係の人に「この展示会、ネタバレしてもいいんですよね?」と伺ったのですが、「あのネタバレ厳禁はメディアの方にお願いしたものですので、個人が展示内容について書くのは制限してません」と快く答えてくださいました。ようやく私も自由に感想を書くことが出来ます。
 注意:受付の時に会場の写真撮影や展示物に触れるなど、事前に禁止事項の説明を受けますので、それには必ず従ってください。

 というわけで、会期中にネタバレ感想を書くという理由を少し長めに書きましたが、ここからはこの展示会場がどのような構造になっているか、私がどのようにその会場自体にに気づき、その気づきによってその展示について「わからない」という違和感が生まれていったのかを書いていきます。

 会期中に見に行くことができない人の為に、できるだけ行動を詳細に説明をするのでとても回りくどい文章になると思いますが、そうやって段階を踏むことによって気づいていく仕掛けにもなっていますので、お付き合いいただければと思います。

 第1のわからないこと

 千葉市美術館 - wikipedia
 千葉市美術館は先の大戦による空襲で焼け残った銀行の建物を、すっぽりと覆うようにして建てられたビルの中にあります。その中には区役所も併設されていましたが、建物全体を美術館として2020年7月までにリニューアルする為に別の建物へ移設しました。参考:千葉市美術館リニューアル等のお知らせ

 私が行った時も、2020年からの改修作業にすぐに取り掛かれるようにするためか資材などが建物の周りに置かれている状態でした。

 建物の中に入ってすぐ横の1階 さや堂ホール(先に書いた焼け残った銀行の建物を復元保存したホール)に入ると、すでに一部の壁が工事用シートで覆われ、備品などがビニールなどで養生されています。

 そのホールの奥には養生された大きな人型のオブジェや、無地の段ボール箱や梱包材、台車などがそのまま放置されているかのように置かれています。床には養生用のシートが敷かれ、さらにそのシートの上には通路を示すように両側にテープが張られています。

 1階については写真撮影とSNS等の掲載が許可されているので、調べればどのような状態になっているか、すぐにわかると思います。

 その美術品と梱包が乱雑に置かれているさや堂ホールで受付を済ませると、会期中いつでも再入場できるチケットといくつかの説明を受けます。

 写真撮影はしないこと
 展示物に触れないこと
 テープ間で示された通路を歩くこと
 AUDIENCE と印刷された黄色いシールを体に張ること
 7階と8階の展示会場はどちらから見てもいいこと

  その説明を確認した後、さや堂ホールを抜けてエレベーターで7階か8階の展示会場に向かいます。この千葉市美術館を利用していた人にはもう慣れてしまっていると思いますが、千葉市美術館はエレベーターを使うのが推奨されています。

 本来は一旦、エレベーターで8階の受付で手続きを済ませてから同階の展示会場の展示品を見て、そこから会場内の階段を使って7階へ降り、続きの展示品を見てエレベーターで帰るという、特殊ではありますが他の美術館と同じ一本道の構造になっています。

 どちらから見てもいいという説明を受けて既に違和感を感じてはいたのですが、それは千葉市美術館の構造をあらかじめ知っている人でなれければわからないと思います。しかし、初めてこの美術館に来た人も、そして私も同じようなわからないを感じていたと思います。

 Q1.どうして1階はこんなに乱雑に物が置かれているのだろうか。

 一体、どのような展示なのだろうと養生シートに覆われたエレベーターの中に入り、私はいつもの慣例に従い、8階のボタンを押して扉を閉めました。

 第1の気づき

 8階の扉が開くと、そこは普段見慣れている会場ではありませんでした

 会場内は半透明のビニールで覆われて立ち入るところが出来ない場所があり、養生シートとテープで作られた通路の脇に台車や三角コーンなどの建設資材が並べられ、その反対側にはおそらく美術品が入っているであろう木材で組み立てられた平べったい大きな箱などが無造作に置かれています。

 別の部屋ではまだ設置途中であろう大きなオブジェや作業机、移動式の足場や照明なども大きなカゴ台車に積まれたままになっています。さらに一部の展示品には白い布が覆われていたり、ペンキを用いた壁一面を使った作品には修正をしようとしてか紙で隠されていたり、さらに別の部屋ではガラスの中の日本画がまだ片付けられずに放置されています。

 ときおり作業員らしき男達2人がかりでそれらの美術品が入ったらしき大きな箱をどこかに移動したり事務員らしき女性が美術品に白い布をかけたり別の作業員たちがペンキが塗られた大きな壁を移動させたり、作業しているのを見かけます。

 作業されている人たちを見分けるのは簡単でその作業服姿もそうですし、受付でもらったAUDIENCEの黄色いシールが貼られてないのですぐにわかります。

 さらには「非常にはっきりとわからない」という1文字ごとにA4用紙を使うタイトルの張り紙でさえ、まだ一部の文字だけしか張られていないような現状を見て、この展示会の内容に気づきます。

 A1.この展覧会は未完成を表現している

 それに気づくと今度はその未完成の状態自体を楽しもうと、それぞれのオブジェや資材など細部の物に注目していきます。

 未完成という状態ではありますが、その実は完成しているものですので、よく見ればそれら一つ一つが作品として見る事ができます。大きなオブジェもよく見れば小さな部品たちで出来ていることも分かりますし、もまだ開封されていない木枠の梱包や、無造作に床に置かれたインパクトドライバーや、養生シートに描かれたペンキ缶の跡まで作品に見えてしまいます。

 第2のわからないこと

 そうして、一通り見回ったところで、今度は7階に向かおう階段に向かうのですが本来あるはずの階段は、その演出の為に使われた半透明のビニールに覆われた奥にあり使う事ができません。

 仕方ないので7階に移動するためにわざわざエレベーターを使うのですが、未完成を表現しているのであれば別に階段を使ってもいいはずですし、その方がエレベーターを待つ必要もないから鑑賞者にとっても楽です。どうしてその部分は行くことができないのか。

 そして7階と8階どちらから見てもいいという言葉がまだ頭の中に引っかかります。順路が一本道であっても未完成の展示会は表現できるはずです。どうしてわざわざどちらから見てもいいという説明をするのでしょうか。

 Q2.なぜ7階と8階、どちらから見てもいいのか

 もやもやした印象を持ちながら、やって来たエレベーターに乗り込み、今度は7階のボタンを押します。

 第2の気づき

 7階の扉が開かれると、そこは8階で見たものとまったく同じ展示会場がありました

 いや、厳密にはまったく同じではありません。7階にはミュージアムショップがあり、その部分はビニールで覆われていますが行くことができます。しかし、ミュージアムショップがある場所を抜きにしても、8階で見たものと同じ部屋構造や展示品、その傍らに置かれている資材や梱包品がまで7階にも同じように置かれているのです。そう考えると、階段があると7階と8階の違いを明確にしてしまうために、あえて隠さなければならないことも分かります。

 半透明のビニールで覆われている場所や、通路に置かれている木枠の箱、カゴ台車や照明、ペンキが塗られている壁や、布がかけられた展示品、まだ片付けられていない日本画まで、先ほど見た8階と同じようになっているのです。
 しかし、それらはなぜか8階と全く同じように置かれているわけではありませんでした

 例えばある展示品にかかっていた白い布がかけられてなかったり、ある木枠の梱包がその通路には置かれていなかったり、三角コーンが別の所に置かれていたり、あるペンキで塗られた壁が大きく動いていたりと、どこかしら8階とは違うようになっているのです。

 それらを見ながら、この展示会の本当の内容に気づきます。

 A2.7階と8階で違いを見つけさせる展示内容である

 正直、サイゼリヤの間違い探しかよと思ってしまったのも事実ですが、それに気づいてしまった以上、今度は何が違うのかを注目するようになります。

 もしかしたら何か見落としているものがあるのかもしれないなどと、7階の展示会場に置かれているものと、8階に置かれていたであろうものとを比較しながら歩いていきますが、確かに自分の記憶というのはあいまいなもので、ある程度大きい展示物や置かれていた資材がどこにあったのかは覚えているのに、養生シートのペンキの跡やビニールテープの置かれていた場所など、細部に関してははっきりとは覚えていない。

 そして写真撮影をしてはいけないというのも、形が残ることで7階と8階の間違いがはっきりと分かってしまうからなんだろうなと理解しました。

 第3のわからないこと

 間違いを見つけるために時間をかけながら7階の会場一巡してみたあとで、もう一度7階を改めて見直すことにしました。すると、さっきまで見ていた7階の資材や展示品の状態がさっきとは違うような気がします。

 違うのは当然だろうと思います。展示会場では作業されている人たちがいて、この展示を完成させるために動いているからで、8階で見たように同じように完成に向けて作業しているからだと思い込もうとしました。しかし、それはどうしてもできませんでした。

 なぜなら、先ほどまではある展示物にはかけられていなかったはずの白い布が、今は白い布に覆われているからです。私はそれを確かめるために、わざわざ8階に戻り、その状態を改めて確認するほどでした。そして7階と8階で何も違っていない状態を見て混乱していくことになります。

 よく考えてみればおかしな話だと思います。完成に向けて作業しているはずなんですから、梱包は次第に解かれていかなければならないはずです。しかし、この展示会場ではそのような作業は全く行われていません。作業されている人たちは、何かを動かしたり、何かを覆ったりはしますが、新たに展示作品を設置したり、あるいは古い展示品を片付けたりはしていないのです

 Q3.彼らはこの展示会場内で何をしているのか?

 本当に完成に向けて動いているのだろうかと思うと、次第にわからなくなっていきます。何が起きているのかを確かめるためには会場内でしばらく様子を見るしかありません。

 例えば、その通路に置かれている美術品が入っているらしき木枠で出来た大きな箱は、一体どこから来てどこへ運ばれていくのでしょうか

 第3の気づき(この展示会の仕掛け)

 そのようにして、おそらく多くの鑑賞者がこの展示会の本当の仕掛けに気づくことになると思います。私がその仕掛けに気づいた実際のきっかけは、会場内の「非常にはっきりとわからない」というタイトルの貼り紙でした。

 その時は自然な動作である女性が脚立を手にやってきて、中途半端に貼られているそのタイトルの前に脚立を立て、残りの紙を一文字ずつ丁寧に貼っていたのです。

 初めて見たときはこれで本当に完成に間に合うのかなどと考えていたのですが、1時間ほどしてその紙が貼られている所に向かうと、その貼り紙はさっきまで女性が貼っていたところだけ剥がされている、つまり元に戻っていたことに気づいた時です。

 これはさすがに7階と8階を両方とも確認しました。確かに紙を貼ることで確かに進んでいた作業が、いつの間にか元に戻っているのですから、展示作業としておかしいのです。それをきっかけにして今度は彼らの行動を観察することになります。そして、観察することによってはっきりと分かります。

 A.彼らはある行動を繰り返しているだけ

 ある作業員たちは通路に置かれていた箱を向こうに運び、しばらくするとまた元の通路に戻す。
 ある女性は展示品に掛けられていた白い布を取って、しばらくすると元の覆った状態に戻す。
 ある作業員たちは大きな壁を動かして、しばらくすると元の場所に動かす。

 そのようにして7階と8階に生まれる展示内容の違いを絶えず作り続け、鑑賞者に錯覚を与え続けていたのです。この展示会は絶対に完成しないし、そして逆説的には絶対に片付けられることもないまま、ただある状態からある状態へと動き続けるだけなのです。

 本当にわからないこと

 そこに気づいた時に私は「うる星やつら2 ビューティフルドリーマー」を実際に行う人たちがいるんだと、この展示の全貌をようやく明らかにできたと思いましたが、それは結局わからないことを繰り返すことに他ならないのでした。
 おそらく他の鑑賞者もこの仕掛けに気づいた瞬間に、同じようなもやもやを抱えて会場を出て行くことになると思います。

 Q.彼らは本当に作業員なのか?
 Q.別の日には違う人が作業しているのか?
 Q.彼らは一日中同じことを繰り返しているのか?

 Q.彼らの会話まで同じなのだろうか?
 Q.鑑賞者が見ていない時も行動しているのだろうか?
 Q.どのような時間帯で行動しているのだろうか?

 Q.彼らは2ヶ月間も同じことを繰り返そうとしているのか?
 Q.あの梱包されていたものたちの中身は何なのか?
 Q.展示会場の何を鑑賞すれば良かったのか?
 
 そういうことをわからないことを考えているうちに、なんとなくこれは美術展ではなく一種の劇場を表現した美術展なのではないかと思い、そこでようやく私の体に貼られたAUDIENCE(観客)のシールの意味にも納得がいきました。私たちも、この奇妙な箱の中で、また別の鑑賞者たちに区別されるための役割を与えられてしまっているのです。

 自分が確実に見ていると思っていたものが、実は別の何かであったのかもしれないという不確かな状態を2か月間も作り続けるというのが、この個展「非常にはっきりとわからない」なのだと思います。

 noteの文字カウント数で8000文字程度の文章でしたが、いかがでしたでしょうか。どのように私がどのようにわからないと感じ、そして気づいていったかを書いてみましたが、この文章で少しでも千葉市美術館を出たときの私の興奮を理解していただければ嬉しいです。

 読んでもさっぱりわからない、もしくはなんだ陳腐な仕掛けだ、と思ってしまったのであればは私の文章によるものです。この文章を読んで、実際の展示会に行ってみたいと思われたのであれば、ぜひ、一度は行ってみてください。

 あの建物の中で組み立てられたもの様々な展示品や小道具と、そこで起きる不自然ではない不自然な一連の行動には、私達が見るだけでは揺らぎようのない確固たる不完全であろうとする意志が存在しています。

 その意思を目の当たりすれば、何かしらのあなたなりの気付きとわからないを提供してくれるでしょう。

 (以上)

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