「なんかやる気出ないなー」って思っていたら、知らないうちに"挫折"してた人の話。

「まいにち日記」を見事に2ヶ月サボっていた私の言い訳け。

そう、これはただの言い訳けです。
だけど、言い訳けにしては良い“気づき”があったので、この夏。
いや、ここ一年くらいの私のお話をつらつらと綴ってみることにしました。


嫌だ、嫌だ、と言いながら、なんだかんだでもう一年。

2020年6月。
東京に拠点を置くと決めてから、あっという間に一年以上が過ぎました。

住んでみて苦しんだ「東京が嫌だ」という感情を垂れ流しながら、
和歌山と二拠点をしてみたり、なんかんだでぐるっと季節を一周。
もう同じゲストハウスに身を置いています。

ハードであれ、ソフトであれ、同じ「場所」に身を置くのが苦手だという私は、別にコロコロコロッと定住する場所を変えているわけではなく、
ただ、1つの「場所」に依存することができなくて、依存先を増やして、掛け持っているだけだということ再確認しました。

予定や気分に合わせて、住む場所や働く場所、関わる人も、やることも。
柔軟に変化させることのできる、時間やお金の余裕、ご縁さえあれば、
そんなカメレオンのような生活が私には向いているのだ、と。

そして自分に「向いている」生活が、なんだかんで実現に近づいたのがこの一年でした。

ハートな面で言えば、東京のゲストハウスにいるけど、神奈川で予定があれば実家に帰るし、実家からもゲストハウスからも遠い現場が次の日にあれば、現場の近くのホステルに泊まる。
用事ができれば、関東を離れ、他の地域に必要な時間身を置くこともある。

ソフトな面は、コミュマネとして関わりを多く持っているコミュニティもあれば、ROM専(聞き専)のコミュニティもあるし、気になるイベントだけ参加しているコミュニティもある。

仕事も同様に「何でも屋クリエイター」として、クリエイティブに含まれる、様々な業種で、色んなことをやってみた。

「合理的か?」「稼げるか?」「楽か?」と言われたら、たぶん全くそんなことはないです。

日々自分の軸を確認する作業はエネルギーをひどく使うし、いつまでも「慣れ」というものを実感することもない。

そんな「楽ではない」生き方だけど、私の心は「楽しい」と言ってくれているので、これはこれで“我が人生は最高だ”と思いながら、少し「楽」になる方法を探していたりもしました。


しんどくはないけど、やる気が出ないから「楽」がしたい。

今までは「楽」なんて求めなくても「楽しいなら本望!」と、エネルギーをメラメラ燃やして動き回っていた。
しんどくて走れない時は、「歩いてもいいんだ」と気が付いたのは、ずいぶん前のことだったと思います。

だけど、この一年。
私が歩くこともやめて、寝転がったと思えば、全力疾走したり、走り出したかと思えば、座り込んで砂いじりをしたりしていたのは、「しんどいから」ではなかった。
シンプルに“やる気”が出なくて、「もう何もしなくていいや」なんて思ったりもして、なんなら「楽しくなくてもいいから“楽”して生きていきたいなぁ。」なんて、そんなことを考えていました。

我ながら自分らしくないと最初は思ったりもしたけど、「はっちらしくない」だけで、本体の私は“究極のめんどくさがり屋”なのも思い出した。

とはいえ、「なんでこんなにやる気が出ないんだろう?」そんな疑問を抱いたのは、たぶん和歌山の縁農生活が終わり、東京に戻ってきた7月ごろ。
あんなに自然豊かな環境で、“理想の暮らし”を体験して、東京での仕事もいい感じの案件が入っていて、「これはもうやる気アップしちゃうんじゃない?!」なんて思っていたのとは裏腹に、びっくりするくらい私の活動に対するやる気はどこかに行ってしまっていて、生活に対しても仕事に対しても、全くと言っていいほど体が動かなかったのです。


朝寝て、昼起きて、夜遊ぶ。

深夜。
ゲストハウスのラウンジでみんなと喋って、スマホゲームして、TikTok見て、朝方空が明るむ頃に、タバコを吸って眠りにつく。
昼過ぎに目が覚めて、起き上がる気がしないから夕方前までTwitterを見て、YouTubeを見て、またタバコを吸いに行って、少し仕事をして、ラウンジでみんなと話していたら、また深夜。の繰り返し。

もう本当に何も頑張りたくなかった。

仕事を増やすことも減らすこともせずに、ただ手に持っているタスクさえこなして、明日生きていけるお金さえあれば、もうあとはベッドの上から動きたくない。そんな感じ。

それでもとりあえずスケジュール帳に記されていた予定くらいはこなそうと、8月は2週間ほど旅もしました。
屋久島で“離島ライフ”を嗜んで、福岡に飛んで元彼のご家族に顔を出したり、東京に帰ってくる帰りに和歌山に寄って、家族を呼び出して、みんなでぶどう狩りしたり。

まぁ特段に贅沢をした旅行でもなければ、奇想天外な経験をした旅でもなかったのだけれど、とても楽しかった夏の思い出です。

「こんな楽しい思いをしたのだから、東京に戻ったら再び頑張ろう!」
そんな風に思えるかとも思ったんだけど、そんなこともないのが悲しい現実。

楽しかった旅から帰った後の8月後半〜9月は、日を増すごとに、ダラけ具合がエスカレートして、本当に何もしない。連絡を返すこともしない。
「廃人」のような生活をしていました。

何度も言うようだけど、別に何かが「しんどかった」わけでも、「辛かった」わけでもないのに。


いっそのこと、ニート。

そんな日々を1ヶ月ほど過ごすと、さすがの私も少し焦りを感じました。
その焦りが「自己嫌悪」になって、余計やる気を削いでいって、また何もしなかった一日が過ぎて、また「自己嫌悪」が増す。

もうそんなことに気を落とすのもめんどくさくて。
いっそのこと「ニート」のような姿に振り切っていたのは、私のそばにいてくれた人たちならば、分かると思います。

だけど、「ニート」って別に悪いもんでもなくて、時間に“余裕”があるので、目の前で困っている人に手を貸すこともできるし(やる気が出れば)、
たまに仕事しよって気になった時は、集中して仕事もできる。

「ニートスタイル」は、意外と色んな可能性を秘めているし、なんなら、今までも私のスタイルは限りなく「動くニート」だったなと感じました。

そんな考えも浮かんだからか“自己嫌悪”はなくなって、「まぁ、こんな時も“私”」と思えていたのだけど、次に私の心に侵入してきたのは、
「ていうか私の“やる気”は、いつ戻ってくるの?」というシンプルな疑問。

私には貯金もないので、この生活であと半年も過ごせるわけないのは、
さすがの私でも分かる。
でも一方で、このまま“やる気”が出なかったら、多分、本当に何もしない。

9月は、そんな風に思ったので、“やる気が出ない理由”を一生懸命考えました。


「劣等感」とか、「自己嫌悪」とか。

まぁ、自分でうだうだ考えても、あんまりピンとくる答えには辿り着かなくて。
結局、ゲストハウスに住んでいるメンバーに愚痴をこぼすように、その時の感情や状態を話したところ、意外な事実が自分の心にストンッと着地しました。

何やら私は、俗に言う“挫折”とやらをしていたみたいです。

何も特別に落ち込むような、悩むようなこと、今年に入ってからは起きていないのになぁ。
心をひどく痛めるような辛いことは2021年の記憶になかった。

じゃあ、何に挫折していたかというと、「自分という特別な存在」です。

19歳の時、大学を中退して、色んなアルバイトを掛け持ちしながら、フリーランスとしての案件も取って、まだ世に広く浸透していなかったオンラインコミュニティに所属して。
それが自分の“当たり前の暮らし”になっていた私は、きっとどこかで「自分は特別なんだ」と思い込んでいたんだと思う。

そして、そんな自分だから、この自由気ままな生き方が成り立っているんだと、信じていたのかもしれない。

だけど、時代はどんどん進んで、自分がこの“特別”の中で、何か成果を出す前に、働き方は多様化して、コロナの影響もあって「多拠点居住」や「個の働き方」、「オンライコミュニティの存在」などが、どんどん自分の身の回りに浸透してきました。
この時点で、私の“特別”は“特別”ではなくなってきていて、それに輪をかけるように、同い年の子たちは「大卒」という私にはない装備を身につけて、この社会に飛び出してきた。それが、今年だったのです。

そう、初々しくて、期待されて、“若いからこそ”無条件で手に入れられる特権を、同じ空間で使えるのは、私だけではなくなったと感じてしまっていました。
頑張った分だけいつだって、期待されることはできるのに。

多分、そんな状況の中で、私は同い年の子に対して「劣等感」を抱いていたのだと思います。
私の中で“特別”だったものが、“特別”ではなくなった時、
「私は誰にも相手にされないんじゃないか。」そんな弱い考えが、この醜いい「劣等感」とやらを生み出したんだと思います。


「お前は今まで自分が“正しい”と思っていたことを、全て“間違っていた”と思え。」

これは元彼が昔、私に言い放ったセリフ。
いや、言ってくれた言葉です。
当時は「なんてモラハラだよ。。。」と落ち込んだものだけど、
きっとこのセリフは、言葉は下手くそだけど、「挫折しろ」ってことだったんだね。

“正しい”まで言わなくても、自分の持ち合わせた“武器”を駆使して、それが良く働くフィールドで、いつも勝ち戦をしてきた私は、例え少し不利なフィールドも、なんとかして自分の動きやすいフィールドにしたり、無理せず手に入れられる範囲の“新たな武器”を装備してきた。
高校卒業以来の私は、よく言えば、それができる子だった。

だけど、社会人4年目。
時代の流れの早い現代で、これがうまくできなくなっちゃってたんだね。

だから、久々に訪れた「勝てないかもしれない試合」を目の前に、
戦う前に戦意を削がれて、負けるかもしれないなら、いっそのこと、何もしなくていいや。そんな感じになっていたんだと思う。


“SCRAP AND BUILD”

「自分はなんでもないやつだ」ということを知って、怖いけどそれをちゃんと受け止めて、それでもそんな「なんでもない自分」を認めてあげて、また自分だけの“特別”を身につけていけばいい。

そしたらきっとまたいつか、「なんでもないやつ」だってことを知らされて、その度に“挫折”して、私の“特別”を見つけていくんだ。

無意識下の中で、強靭だと思い込んでいた自分の武器は、いとも簡単に打ち砕かれていく。
無防備で、弱くて、丸裸に私になった私に残るものは、これからに賭ける可能性だ。

本当に必要なのは、打ち砕かれない武器ではなくて、武器を失っても
また武器を作り出せることなんじゃないかなと。

そう思えたら、少しだけ。
久々に「やる気」が出てきたのです。

かといって、そうすぐにはフルスピードで走り出すことはできなかったので、私らしくゆっくりと。
この少しの「やる気」が充電できたら、またちゃんと走ろうと、決めましたた。


今年もあと、3ヶ月。

そんな“挫折”を経験していた2021年も、残り3ヶ月。
10月になって、ようやっと溜まり始めた「やる気」は、私に目標をくれました。

大きな目標ではないけれど、金額を決めてお金を貯めて、パートナーと2人で過ごせる住処を借りることにしたのです。

いつか車を買いたいね。とか、そんな話もしています。

こうやって、自分が喜んでくれるような目標に向かって頑張っていたら、
きっとまた、自分が自信を持って武器だと言えるような、そんな経験に出会えると思うんだ。





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