見出し画像

"平成最後の"って言葉が嫌い。

「"平成最後の"って言葉、嫌いなんだよね〜」


2019年4月30日。

平成が終わる。
1つの時代がまた幕を閉じ、新しい時代を迎えようとしています。

その瞬間に、私達は、多分生きてる。

1998年、平成10年。
今年成人式を迎えた、所謂「平成最後の新成人」の産まれた年です。
そして私もその1人。

私はまだ、平成という時代しか生きたことがない。

年号が変わったところで、日常の特に何が変わるでもないことは分かってる。
でも確実に、"平成"は終わる。

私は勝手に、江戸には江戸の、昭和には昭和の、平成には平成の、そして、新時代にも、それぞれの時代の色があると思う。

今まで全く意識してこなかったけど、平成があと二ヶ月もないとなった今初めて、自分は平成の色が大好きで、完全に染まっていることに気がついた。

私のエモーショナルな感性は1989年-2010年頃の様々なカルチャーで敏感に働くし、それ以降少しずつ変わりはじめたカルチャーはなんとなく心にスッと入ってこない。
そして、そのカルチャーが進化した形がきっと、迫り来る五月から始まる、新時代のカルチャーの一欠片だと言えるだろう。
そう思うと、その日を迎えるのが、なんだか怖い気すらしてくる。

昭和に生まれ、昭和を生きた私の親世代も、平成になる時こんな思いをしたのだろうか。

これは私の偏見だけど、平成初期〜中期が好きだという人は多いのではないかと思ってる。
特に音楽業界やテレビ業界はかなりの盛り上がりがあったように思う。

最近流行っている"米津玄師"や"あいみょん"、歌物系のインディーズバンドってなんとなく、最近流行りだした新たな音楽!っていうより、一周回って"平成初期の音楽カルチャー"を取り入れているような気がして、新しくもどこか懐かしいような、そんな感じがする。
そして、それが今この世間に売れるということは、きっとそういうことなんだと思う。

あと、この記事のタイトル。

「"平成最後の"って言葉、嫌いなんだよね〜」

私の身近でよく言われることです。
別に嫌いなのはいいんだけど、"平成最後の"を使っている人を否定するのはやめてほしいなぁと少し思ってしまいます。

だって最後なんだもん。
いつだって、今ある今は今この瞬間しかないんだけど、平成というこの時代の、この一瞬を大切にしたいんだよ、いいじゃない。って思ってしまうのです。
だって、今この時を平成を噛み締めて生きなきゃ、私、来年の今頃絶対後悔する。
あの時しかなかったのにな。って、絶対思ってる。

こんなこと言ってたら「平成を噛みしめるってなんだよ(笑)」とも笑われそうな気がするけど。

いいよ、もう。笑

近頃生まれた、"エモい"って流行り言葉。
私はこれを平成の代名詞だと思ってます。

"エモい"は"エモーショナル"の略語。
"エモーショナル"には【感情が動かされている状態】という意味があります。

人それぞれ感情が動くポイントって違うよね。
だから、人それぞれの"エモい"があっていいのです。

私にとって"平成という時代"こそ、最上級の"エモい"。
世間的に知れている様々なカルチャーもそうだし、私が20年間生きてきて出会った思い出や過ごした過去の全てが私の"エモい"。

私のクリエイティブは、この"エモい"からくることが多いという話は今回はやめておこう、と。


大切にしたい感情。
大切にしたい時代。
エモい、平成。


日本、新時代が始まりますよ。

もうここ10年近くはこの新しい時代に、人も、街も、価値観も、生き方も、そして世界も。
みんな少しずつ片足を踏み入れていたんじゃないかとつくづく思います。
どんな時代になるのか、怖いね。
だけど、ワクワクもする。

ただ、年号が変わるだけ。
ただ、日本の象徴が変わるだけ。
ただ、いつものように朝日は登り、満員電車は多くの働く人を乗せて走り出す。

それでも間違いなく、時代は変わる。
世間や、価値観、そして常識ですらもきっと、ひっそりと、変わってゆくのでしょう。
それに、私達人間は順応していく。
いや、人間が、変わりゆくこの時代を作っているのかもしれないね。


私も、ちょっとずつ、平成に幕を閉じる準備をしよう。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?