他人のことなんて、ほんの少しだって分かりやしない、と分かっていても。


「他人を分析する」なんて、どこまでも上から目線でおこがましい行動だな、と思う。
でもこれは、私の癖。

出会った時の第一印象、顔、表情、服装、言動、行動、その人の現状、過去。
色々トータルして、今まで自分が出会ってきた複数人の“誰か”や経験、憶測の統計に当て込む。

「あー、なるほどね。この人はこんな感じか。」
その時一瞬の分析をもとに相手に対する返答の言い回しや、
自分のキャラクターをコントロールする。
複数いる場合、まずは誰ウケを狙えば、その場が盛り上がって、
誰に寄り添えば、誰も傷つかないかを考える。

あぁすれば気持ち良くなってくれるかな、こうすれば傷つけないかなって。
一見、相手のことを考えてるように見えるけど、
自分が傷つかないための、ただの自己防衛でしかないような気もする。
さらに、相手のことを勝手に分かった気になって会話をコントロールしようなんざ、どれほど人を見下しているんだろう。

なんて上からで、なんて生きにくい。

上手く生きようとしてついた癖が、自分の首を締め付けているのだ、と
未だ気が付いているだけで治らない。

どれだけ分析したって、統計に当て込んだって、他人のことなんて
少しも分かることなんて出来ないのに。

「この人はあんな人だ、その人はこうだ」
言ったところで、それは私に見えている世界に生きる“他人”の姿でしかない。

その人の世界にいる“本人”はその人にしか見えない。

たまに自分のこういう、人を見下して生きているような行動に
ガタッと肩を落としてしまう。

全く可愛げのない、酷く醜い優しくない人だなぁと思う。

だけど、たまに感謝する。
たまに、これで人を救える時もある。

ただ自分のこの行動に自信がないだけなんだろうか。
良いことだとは、いつまで経っても思えないのに、
ずっとやめられないのは何故だろう。

世界の全てを知ったような大きな態度で、
他人様の前に生きるのがひどく辛いと感じるのに、
同時に、そんな自分でもいいとも思っている。
これは傲慢かな。

「“他人”のことなんて分からないものよ」
そう言いながら、いつも分かったような顔して生きてる。

どっちの自分が本当だろう。
分からないけど。

私の前にどんな人が現れようとも、
否定せず、受け入れられる人でありたい。

それが今の私にできる精一杯の優しさな気がするから。


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