見出し画像

"憧れ"なんて言葉で片付けたくはないの。


最終電車の二本前。
酔っ払いのおかげ様で、いつもより少し騒がしい車内で、私は溢れ出す思いを止められずに泣きそうになってた。

それは、ついこの間。
南米に飛び立つ前に、と会った相方と話した
『"理想と現実の差"に対するもどかしさ』
だった。

最近気がついたのだけど、
私には夢という夢はない。
だけど可能性は満ち満ちていて、理想の生き方はちゃんと持ってる。
理想が高いけれど、目指すところは

やりたいことに妥協せず心のままに生きる事

これを私は
"旅をしている時のような心で生きる"
と謳い、自分の人生のテーマにしてる。

悲しいけど
誰かのためじゃなく、自分のために生きたい。
のが私だと、去年やっと認めることができた。
だけど、自分のためにやっていることが
誰かの幸せになり、
私の幸せと誰かの幸せが共存している時間が好きだということも同時に分かった。

話は戻って、今日なんでこんなに泣きそうになるほど理想と現実の差にもどかしさを感じたのかというと

私には"憧れの人"がいる。

その人は、私の理想の生き方を丸々やってのけている。
その人にだって辛いことはあるとは思うけど、
私の"好き"とか"やりたい"の理想を、全部作り出していて、しかもそれで食べている。
私が仕事に対して"働く"と言いたくないのは、
この人みたいに、
"やりたいことをやって生きていくこと"
が、仕事になるのを目指しているから。

なんだか"働く"って言い方は
やらされてるみたいで嫌なんだよね。

私のやりたいことはいっぱいいっぱいあって、
その人のやってることは
全部全部、私の"やりたいことリスト"に含まれてる。
しかも再現方法も、世界観も驚くほど私の理想のイメージにマッチしてる。

ちょっと気持ち悪いけど、
その人になれないのが本当に心の底から悔しい

そう思うほどに、理想で憧れの人。
出来れば憧れなんて言葉で片付けたくない。

"そっくりだね"って横に並んでお喋りしたい。
だけど今の私なんかじゃそんなの大それた願いで、
『大統領のお友達になって一緒に遊びたーい』
って本気で言ってるくらい
きっと失礼な願いだ。

いつになったら
その人になれるかな。
何を頑張ったら
その人のように生きれるだろう。

考えてたらきっときりがないから、
今日はこの辺にしておこう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?