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『老い』という名の列車

あれはちょうど1年ほど前だったか。やたらと“老い”をテーマにした本を読んでいた時期があった。まだ30代後半で世間的には充分若い方だと思うが、自分の先行きが見えず、どうにかして何か光明を見出したかったのだと思う。

しかしその“老い”はやはり死と不可分だった。読み進めながらその生命力の薄さに少しゾッとしたのだった。何冊か手元にあったが、いずれも読み通せずに終わった。

数年前、上野のモネ展で彼の最晩年の作品を見た。素人ながら、その散漫さや力のなさはどうしても気になった。有名な作品も同時に展示されていたので、いやが応にも比べざるを得ない。人間の気力と体力と技術がリンクする時期の短さを知った。

老いとは、そのいずれかもしくは全てが徐々に減っていくことなのだと思う。冒頭の老いについての本も、ごく短いエッセイの寄せ集めなのだがどうしても各章の終わりが尻すぼみなのを感じた。描きたいことがあって筆を執ったが、その勢いが長続きしない。形を結ばぬまま散り散りになっていく文章たち。それがどうしても感じられてつらかった。

老いをカバーするものはなんなのだろう。というか、カバーする必要のあるものなのだろうか。とりあえず清潔感とユーモアはそばにおきたいと思う。

お読みいただきありがとうございました。今日が良い日でありますように。