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吉右衛門さんのこと

昨年11月末、長く病床にあった吉右衛門さんが旅立たれた。お元気ではないことはなんとなく感じていたものの、夏頃は復帰なるか?という空気もあったような気がしていたし(歌六さんが代演をお勤めになった)、何とかもう一度舞台を拝見したかったが、叶わなかった。

歌舞伎を見始めて7年ほど。鬼平はリアルタイムで拝見していたわけではなく、舞台を拝見しても「これが吉右衛門さんか」と思っていた。正直よくわかっていなかった。

しかし、ある日の舞台で石川五右衛門に扮する吉右衛門さんを見た時、衝撃を受けた。菊五郎さんがご一緒されていたのだが、吉右衛門さんの大きさに圧倒されてしまったのだった。「絶景かな」という有名すぎるセリフが、降ってきた。あの言葉にできない、湧き上がる興奮と涙。一緒に観劇していた母と「すごかったね…!」と言い合い、今も2人で思い出すとあの凄さがよみがえる。例えるなら…いや、例えようもないのだ。あの瞬間的な圧倒は。

例えば屋久杉や、スペインで観た荘厳な教会が近いかもしれないと思ったが、あれらはずっとそこにある。消えてなくなることは、まずない。しかし舞台の圧倒感は、幕が下りればその対象は見えなくなる。悲しくもいつか終わりがあり、否が応にも現実に帰らなくてはいけない。そして同じ舞台は、厳密にいえばもう観られない。本当にその場限りの芸術である。あの日の吉右衛門さんは最初で最後だった。あまりの圧倒感で、私はその日どの席で観たのか、同じ日に何を観たのか、全く思い出せない。

追悼番組で、壮年期の吉右衛門さんを見た。ものすごくかっこよかった。パリで風景を写生する姿もかっこよかった。「こんなにかっこよかったんだ」と思った。お好きだったという資生堂パーラーのメニューのように、上質でコクのある脂っ気を感じた。お元気だった頃の舞台映像は本当に大きくて、この人がいれば絶対大丈夫という力に溢れていた。

思い出すのは前述の五右衛門と、お孫さんである丑之助くん襲名時の好々爺っぷりと、楽しそうだった素襖落と、コロナ禍にテレビ収録した須磨浦の凄まじさである。多分その素晴らしさの1/5も分かっていないが、でも沢山のものをいただいた。

願わくば、満席の、大向こうありの歌舞伎座に戻ってきてほしかった。その耳に、目に、いっぱいの喝采を届けたかった。

ありがとうございました。また、いつかどこかで。

お読みいただきありがとうございました。今日が良い日でありますように。