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『袴田事件に見る自己否定の恐怖』

半世紀と言う長い間『無実の罪』を掛けられた人間が釈放された。 昔で言えば人の人生一人分である。 彼は投獄中ずっと『無実』を訴え続けた。 その精神力は並大抵の精神力ではない。 想像を絶する強靭な精神力がなければ心は折れていた事だろう。 流石チャンピオンの器となるべきボクサーである。 逆を言えば心が折れずに居たからこそ無実を勝ち取ったとも言える。 だが表もあれば裏もある。 氏の釈放後の言動におかしな部分が有ると報じられた。 これは長い間無実の罪で投獄され或いは拉致され或いは自らの心に背く行動を強制された方々に共通した症状である。 それは『現状否定の中にある自己否定』である。 つまり現状を受け入れず否定し続ける事はその現状の中にいる自分自身への否定に繋がる。 それを長く続けていると自己否定している自分を自分が受け入れてしまう事になる。 これが常態化の持つ恐ろしさである。 そして今度その自己否定が不要となり自己肯定出来る状況となっても余りに長期間自己否定をして来た為に脳がその自己肯定自体を拒否するようになり現状否定に繋がり脳の誤動作を防ぐ為に幻覚や幻聴症状が出てくる。 それを回避する為には50年で受けた以上の刺激を脳に与えるか同じ年月をかけるしか方法がない。 されど50年で受けた以上の刺激を脳に与えれば恐らく脳はその刺激に耐えられず脳死状態となるだろうし同じ年月を掛けられる筈もない。 つまり国が人を一人殺した事と同じである。 その事を国は重く受け止め二度と冤罪被害者を出さない努力を願いたい。 『人を疑う』事が仕事だと言うのなら自らの行為自身も疑うべきである。 何故なら容疑者も己も同じ『人』であるのだから。 容疑者には疑いの目を向け己にはそれを向けぬとするならば『人を疑う』事を生業だと言う資格はない。 その事を肝に銘じて戴きたい。 

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