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『黙止力が齎す常態行動心理学的影響』

古くから日本は『沈黙する事』にとても重きをおいてきた。 『沈黙は金なり』『黙して語らず』『親父の背中』等更には弟子が師匠の技を『盗む』というのも又、『黙して教える』という風に言い換える事が出来ます。 翻り米国を初めとする欧米諸国は『喋る事で自己表現をする』nationalismをもっている。 この違いは一体何処に有るのか? それは地域性と民族性、地理的条件と精神的条件が大きく関与しています。 日本は四方を海に囲まれて内戦に常明け暮れ他国との争いは江戸末期迄余りありませんでした。 元寇の二度に渡る侵攻失敗を見ても解る通り日本は自然の要塞であり自然により守られてきた神の国だと言って良いかと思います。 翻り米国を初めとする欧米諸国は隣国と境界線が接し領土問題やnationalismPatriotizm等が激突し争いが耐えませんでした。 日本国内でも戦争時互いの旗や甲冑の色で敵味方を判断しそれ故に兵法の一つに敵の旗や甲冑を着て敵を翻弄する戦術がある程でした。 国が違えば肌の色も考え方も全て違います。日本は地続きですからその違いは緩やかですが土地が離れている場所ではその違いはとても顕著です。 それは異質性を産み人間には驚異と写ります。それ故に目の前の異質性を排除し同質化する事でidentityを得ていました。 時流れて現代。 第一次第二次世界大戦後開国となった我が国に米国を初めとする多くの外国人が流入し嫌でもnationalismやPatriotizmを意識せざるを得なくなりました。 その中で西洋文化に毒され日本独自の『黙して語る文化』も薄れていきました。 個の時代の到来により更に『表現する文化』は加速度的に進化していきました。 巷には自己啓発本を初めとする『自己表現法』を著した本で書店は溢れています。 誰もが自己表現をせざるを得ない社会となりそれらを不得意とする方々は脱落お心を病み我が門を多く潜ります。 その方々に私は申し上げます。 『黙して語らず』と。 敢えて沈黙を守る事は最大の自己表現であると。 人が喋るのは相手に此方の意思を伝える為でありコミュニケーションツールである。 だがそれは黙していても伝わる物はちゃんと伝わる。 同胞は自分を理解して貰おうと百の言葉を尽くす、それに対して私は黙して語らず同報が喋り終えた後たった一言言葉を返すのみ。 それで同胞の心の闇は晴れ元気になり自分を取り戻し笑顔で去っていく。 語らない事で語る術もある。 それは生き様を見せる事です。 生き様に年代、性別、収入、学歴、美醜不問。 怠惰に生きた50年より真剣に生きた10年の方が黙して語れる事は遥かに多いのである。 大事な事は『語る事』ではない。 大事な事は『聞かせる事』である。 百の言葉を尽くしても『聞いて貰えない』なら意味がない。一の言葉でも『聴いて貰えれば』全て解る。 言葉はコミュニケーションツールである。ならば大事なのは数ではなく質。 伝える量ではなく伝える濃さである。 その事を私はしっかり同胞に伝える。 『表現する』事は『話す事』だけではありません。『黙する事』も又、『表現する』事の一つです。 クラシックの分野でもピアノの前に座り一音も出さない『演奏』があります。 敢えて『沈黙する』事で『聞かせる曲』もあるのです。 キャンバスの中に『何も描かれていない絵』もあります。巨匠の名作です。 それも立派な『芸術』です。 黙する事で語りましょう。 黙する事で伝えましょう。 私と共に。 

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