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『優しさが優しさにならない根拠』

『優しさ』は諸刃の剣。
例えば『女性に優しい~』とか、 例えば『初心者に優しい~』とか言う物。 最初はその優しさが心地よく入会します。 されど馴れてくると今度はその優しさが邪魔になってくる。 これは言わば幼児の自立心の芽生えに同じ。 ハイハイから掴まり立ち、自立歩行へと覚えてくると親の過干渉が鬱陶しくなる。 故に親の手を払い退け自分で進もうとする。 これ、実は幼児だけに限らないんです。 例えば今しようと思っていた矢先それをしろと言われる。 例えば勉強しようと腰を上げた途端親から勉強しろと頭ごなしに言われる。 すると解ってるよ今しようと思ってたのにとその言葉自体に腹が立ちやる気が失せる。 実はこれ言葉の持つ重層効果による物。 やろうと思う時、人間はそれを頭の中で言語化する様に出来ています。 立ち上がる時、ヨッコラショというのは親父臭いから言葉にはしませんが頭の中では無意識的にヨッコラショと言っている筈です。 先の行動もそれに類します。 さあ、勉強しようと腰をあげます。 そこへ間髪いれず親が勉強しろと言われる。 すると脳はその勉強と言う言葉を重層的に捉えます。 人間の感じるstressの内、尤もstressを感じるのはこの反復行為なのです。 同じ事を同じ時に二度以上言われる。 これは細胞学的刺激の減退でありそれは同時に生物学的危機意識の増大であり人間はそれを激しく嫌います。 故にやる気が失せてその行為自体を止めてしまう。 冒頭の優しさも同じ類型性を持っています。 優しさの二重構造がそれをお節介に変える。 故に初心者に優しい物や女性に優しい物が長く受け入れられない理由なのです。

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