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『誰かの為に頑張る事に対する常態行動心理学的解釈』

同胞が我が門を叩いた最初の頃、同胞は自分の問題を何とか解決して欲しいと私に依存して門を叩きます。 その時は黙ってtherapyを開始します。 未だその時は同胞は何も気づいていない。 その後therapyが進んでくるにつれて私は同胞に『難題』を課す。 最初は戸惑いを見せるも最初から継続し結果も目に見える形で示しているので此処で止めたくないという気持ちの方が強くなり『難題』へ立ち向かう勇気を得ます。 この頃になると同胞に或る変化が現れる。 それ迄は『自分の為に』頑張っていた。 しかし気づいてみると『先生の為に』頑張っている自分に気づく。 そして最初の頃は考えもしなかった『難題』も難無くこなし『難題』をこなせる自分を誇りに思えるようになる。 そうなってくると更に『先生の為に結果を出したい』と言う欲が出てくる。 この『誰かの為に結果を出したい』と言う気持ちが実はmental sickやmental改善には必要不可欠の要素である。 人間は中々『自分の為に』頑張る個とを継続する事はとても難しい。 それはその『自分』から認知欲求を得にくいからである。 人が人として生きられるのは『人から人だと認知される事』によって初めて『人』として生きる事が叶う。 幾らお金や地位や腕力や美貌を得ていても、『人として認知』されねばそれらは何の意味もない。 彼ら彼女らが認知しているのは『人』ではなくその『人』が所持する『物』に対してのみだからである。 その証拠は『人』から『物』が無くなると同時に『認知』も消え失せるからである。 我が門を叩いた最初の頃、同胞はその『自己認知力』が著しく低下している。 故に最初は『自己認知力』の回復がメインとなる。 然れど回を重ねる毎に『自己認知力』は回復し『自己認知力』は全快に至る。 すると次は『他者認知』を欲する様になる。 それは『自己認知』よりも『他者認知』の方がより細胞への刺激量が多いからである。 『自己認知』には或一定の法則があり、その法則の範囲内でしか刺激は得られない。 するとその刺激は早く常態化する傾向が強くなり刺激に対する反応量が激減する。 翻り『他者認知』には一定の法則はない。 何故なら『認知される人が違うから』です。 つまり『認知される人』の数だけ『異なる刺激』を得られる事により細胞活性力が高まるからである。 その頃になると『自己認知力』は満たされ『他者認知』を得る為に『等価交換の法則』の考えが同胞の中で芽生えてくる。 これが『誰かの為に頑張る』と言う行為に繋がる。そしてその『誰か』が自分の『自己認知力』を高めてくれた人ならば尚更である。 自分を回復させ高めてくれた相手なればこそその存在から認められたいと言う思いはとても強くなる。 その『誰かの為に頑張る』と言う行為が自立心を目覚めさせる。 そして最初『自分の為に』頑張っていた自分が今や『誰かの為に』頑張っている自分に気付きその成長を実感する事により自立心蛾芽生えてくる。 この頃になるともう最初我が門を叩いた頃の悩みは完全に消え失せている。 そして自己を高めたいと言う欲求が高まりそれを阻害する存在に疎ましく感じるようになる。 その結果、実家から自立、会社から自立、配偶者から自立していく事となる。 これが最終到達点と言える。 そしてこの最終到達点に達する頃には我が門を叩いた頃の弱さはもう存在しない。 そして意気揚々と我が門を去っていかれる。 これで全工程を終了としている。 プログラム行程が長い人も短い人もいる。 長いから悪い、短いから良いという訳ではなく悩みの軽重や個人差によりそれらは変わる。 大事な事は『再発防止』である。 繰り返し我が門を叩かせない事である。 その為に様々な努力と工夫をし続けた25年間である。 私の教科書は生きている生身の人間そのものである。 故に日々の生活自体が私にとっての学び。 勿論同胞との治療も又、学びの一つである。 そうやって日々学ぶ心を忘れない事も又、心理職には必須スキルだと私は考えている。 これからも私は常、学ぶ姿勢を持ちつつ同胞と向き合いたいと考えている。


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