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『常態行動心理学的否定の中にある肯定について~或いは比較存在論について~』

否定せねばならぬ事実が正当性を持つ時、
人は其を否定せず。

何故ならばそれは眼前に
存在しているからである。

人は目に見える物には
言葉を尽くさない。

それは言葉が感情伝達ツール
である事に起因する。

本来言葉とは感情と言う
目に見えない物を
具現化する為に存在する。

世界中に多くの言語が
存在するのはその地域により
表現する表現力が違うから。

南国の人が寒いと言うのと
北国の人が寒いと言うのとでは
感じられる寒さは桁違いである。

それはその言葉を聞く者が
北国の寒さを五感で
感じ取っているからである。

つまり事実が肯定的であればあるほど
人は其を否定し其をない物とする。

それをない物とする時点で
それは存在を認めた事になる。

例えば、綺麗な人、気配りが出来る人、
仕事が出来る人、個々の能力を個別に持つ人は多い。

だが此を平均的に全て持つ人
となると中々少ない。

例えば各々の数値を平均的に
30持つ人と一つを40で
残りを10ずつ持つ人とに分けた場合、
数値論的には平均的に
数値を持つ人の方が
数値上では勝る事となる。

だが平均的に全て持つ人は
それが平準化され
常態化されているので
その事に気づかない。

だがそれらの数値が低い人からは
それが目立ち目障りとなる。

これが否定の中の肯定行為に繋がる。

実はこれ、セクハラやパワハラ、
等凡るHarassmentの元となる要素。

逆を言えば其等がHarassmentの元
となる事を自覚すれば
受ける側にはHarassmentの効力は失われる。

寧ろHarassmentを受ける程に
自己肯定される気分が味わえ、逆効果。

そうなればHarassmentを仕掛けてくる相手も
己の行為の空しさを知りそれを止める事になる。

風にそよぐ柳のように、
柔軟性を持ち圧力を無効化すれば
必ずそれはやみます。

それをお教えし続けた25年間です。
Harassmentは立派な犯罪行為です。

私は断固それを許しません。
これからも私はHarassmentに
悩み苦しむ多くの方々を救済すべく
孤軍奮闘していく所存。

サポート頂いた方の思いを私なりに形にし世界へ発信していきたいと考えています。人は思いによって生かされている事を世界へ発進する為の資金に使わせて頂きます。