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『常態行動心理学的死生観』

昨日親しい人のお身内のご葬儀が静かに執り行われた。
晩年とても病に苦しんで亡くなられたらしく
体にはその痕跡が遺されていたとの事。

その話を聞いた時、私は他界した亡父を思い出した。
亡父も20年以上闘病生活の末苦しみ抜きこの世を去った。

突然の訃報を夜中に受けて急行するも誰も身内は死に際には立ち合えなかった。 一人寂しく来世へ旅立った亡父を思うと、今も涙に暮れる。 それでもまだ我々は御遺体があるだけ善い方だと考える。 中には事故で焼失し或いは災害で流され或いは故意に山深い山中に無惨に放置され骨すら風化してしまい跡形も無い方々も少なくない。 我々が死を認識するのは御遺体と対面が叶うからである。 そこに横たわる物言わぬ存在を黙視して始めてその人の死を脳が知覚する。 逆を言えば御遺体と対面が叶わなければ人が亡くなった事実を脳が認識せず何時までも何処かで生存しているのではないか?という叶わぬ期待を抱かざるを得ない。 それはご遺族にとってこの上ない苦しみ、悲しみ、辛さである。 阪神淡路大震災、東日本大震災と平成に入り二度の大震災に日本は見舞われ多くの方々が亡くなられた。 特に東日本大震災は海沿いで地震が起きて津波に人が飲み込まれ今だ御遺体が見つからず脳がその人の死を認識できない方々がとても多い。 その場に存在しないだけでその人の死を認識しろというのは無理な話。 死とは死体を目の前にして始めて人の死と認識が叶う物でありそれ以外のcaseに於いては其れを認識する事はとても困難である。 そしてその埋まらない喪失感は時の経過と共に精神疾患を患う原因の一つとなる。 人の存在の希薄さから離人症を発祥したり中には社会病質、精神病質を患う方も出てくる。 それが天災ならばやむを得ない部分もあるが東日本大震災のような防ぐ事が可能な震災に於いてはやはり政府の無策が多くの精神疾患患者を量産している事実を見逃すべきではない。 防げない物はやむを得ないが防げる物は極力防ぐべきだと私は考えている。 今回の罵倒議員と怠慢議長の愚行も新たな精神疾患患者を産み出す原因となりうる。 自分達の行動が社会病理を産み出す責任がある事を政治家方々には深く認識を願いたい。

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