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『不同意が不快な根拠』

平たく言えば己の意見が通らぬと当然の事ながら人は不愉快になる。 では何故不愉快になるのだろうか? それは己の意見が通らぬから…ではない。 それは己の意見を通せなかったからである。 同じように見えるが実はこの両者は別物。 前者はその責任を他者に求めている。 後者はその責任を己に求めている。 責任の所在の求める所が違うのである。 更には怒りの求める対象も違う。 前者は意見を通さぬ相手に怒りを覚える。 後者は意見を通せぬ己自身に怒りを覚える。 実はこれが不愉快の元である。 然れど其れを己自身に求める事をするとstressが溜まるので他者に転化しているだけである。 つまり元々は己への不満且つ怒りである。 其れを他者に責任転嫁しているだけである。 責任転嫁しているので当然不消化となる。 故に何時までも火種は消えず燻り続ける。 これが不愉快さの元である。 ではどうすればその不愉快さを無くす事が可能となるか? それは逃げの気持ちを無くす事である。 自己逃避し己の誤りを他者に求め続ける限り不愉快さが消える事はない。 自己逃避せず己の誤りを己自身が受け止められる人となる事が大切である。 その為に必要な事とは何か? それは自己の持つ多面性を知る事である。 自己の持つ多面性を知る事が出来れば己の誤りを己自身が受け止められる面を増やす事が出来る。 己の誤りを己自身が受け止められる面が少ないと人はその己が抱えきれない物を他者に求め他者に逃げる。 己の誤りを己自身が受け止められる面が多いと人はその己が抱える全てを己自身で解決が可能となる。 すると今度は面白い現象が起きる。 これ迄抱えきれず人に責任転嫁してきた物を己自身で受け止められるようになるとその責任の所在が明らかになり何故他者に責任転嫁をして来たのかが解るようになる。 更には何故それが受け入れられなかったのかも解る。 何故なら己自身の多面性を知る事は他者の持つ多面性を知る事に繋がるからである。 その理由は只一つ。 己も他者も同じ人間だからである。 己も他者も同じ人間なれば片方の己の多面性が解れば他者の持つ多面性をも知る事が可能となる。 他者の持つ多面性をも知る事が可能なればどの面が己と高い類似性を持ちどの面が己と低い類似性を持たぬか?が解ってくる。 そうなれば当然の結果、己の持つ面と相手の持つ面の類似性の高い物を選択すれば同意を得やすくなるからである。 こうして私は多くの人の心の不消化を解消してきている。 私はこれからも心の消化不良を治す心の処方箋を出し続けたいと考えている。

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