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『学を獲る事』~馬鹿は嫌いと公言し続ける意味とは?~

『馬鹿は嫌い』『学の無い人間は嫌い』と
公言して憚らず50年が過ぎました。

此処で言う馬鹿とは
学歴の無い方の事を
指す言葉ではありません。

此処で言う学の無い人間とは
学歴の無い方の事を指す
言葉ではありません。

学歴は馬鹿でもつけられます。
学校に入って出るだけでよいのですから。

其が簡単に出来れば
誰も苦労はしないと
お怒りの方も居られるかも
知れませんが残念ながら簡単なんです。

今は奨学金制度があります。
学費免除のシステムもあります。
経済面で学を付けられないは
今は理由の一つにはならない時代です。

入った後は本人の努力のみ。
努力を怠れば卒業が叶いません。

努力を惜しまねば卒業が叶います。
『学をつける』とは『学舎で学ぶ』に非ず。 『学をつける』とは『知を求める』事なり。

今の世の中起きてから寝るまで
実に様々な場所で『学』は付けられます。

一番『学』を獲られる場所はどこでしょう?
学校?図書館?書店?何れも違います。

一番『学』を獲られる場所は人混みの中。
人々の会話の中にこそ『学』は隠れている。

書物は人の目に触れるまで時間を要する。
学校は指導者の嗜好性が学の質を落とす。

人混みの中の『学』は即時性がある。
人混みの中の『学』は偏りが少ない。

私の無限の『学』の獲得場所は人混みの中。
私の心理『学』理論構想場所は人混みの中。

つまり『学がない』は今は通用せず。

故に『学がない=求める気がない』となります

中には生きる事に必死で
学を修めている暇がないと
言われる人もおられるがこれも誤り。

何故なら『学』無く生きる事叶わずだから。

朝起きてから寝る迄
頭を使わず生きれますか?

顔を洗う、歯を磨く、服を着替える、
ご飯を食べる、家を出る、目的地へ行く、
作業をこなす、帰宅する、風呂に入る、
ご飯を食べる、寝る。

この一日の大まかなroutineworkを見ても
頭を使わずに出来る事は何一つ有りません。

つまり生きる事とは頭を使う事なのです。
そして頭を使う為には材料が要ります。

この材料に当たる部分が学なのです。
これで学が生きる為に必要である事は
ご理解が叶ったと思います。

私が言う『馬鹿は嫌い』『学が無い人間は嫌い』と言う意味もお判りになられたかと思います。

『馬鹿』や『学の無い人間』
つまり『学ぶ意欲の無い人間』は
『欲望』のみで動く。

其処に『理性』『抑止』は存在せず。

するとどうなるのか?
己の欲を満たす為には
手段を選ばない。

例え犯罪を犯し罪に問われても欲を満たす。
そういう人間が増えれば無法地帯となる。

『学』を修める事は『理性』や『抑止』
そして『規範』を修める事になります。

すると其処に『知の蓄積』ができます。
これが『文化』となり『歴史』となります。

人の『歴史』とは即ち『知の記録』なのです。

本当に犯罪を抑止し
平和で争いをなくす世界を作りたければ
人を殺傷し人を力で捩じ伏せるのではなく
知恵を与えて生産性を高め
その人の存在価値を高める事こそ
大切なのです。

国を富ます事も又、同じです。

本当に国を富ましたいと思うのならば
他国に自衛隊を派遣して軍需利益で
国を富ますのではなく多くの民に
充分な知恵を授けてそれにより
生産性を高める事の方がより
生産的な富国となります。

今の国主に足りない物。 それは『学』です。
『生きる学』こそが一番欠落している。

これからの国主に求められる物。
それは『生きる学』を持つ者です。

私はこれからも私自身も同じく
『生きる学』を得られる人でありたいと願い
『生きる学』を持つ者を育てたいと思います。

サポート頂いた方の思いを私なりに形にし世界へ発信していきたいと考えています。人は思いによって生かされている事を世界へ発進する為の資金に使わせて頂きます。