正しさの方程式
以前、某アニメの副題に『優しさの方程式』というのがあった。私はこのアニメが大好きでOVA含め全て見てしまった程です。
さて、今回は正しさの方程式について、
と言っても数式ではありません。
人により正しさの認識は様々であるが持論。
法治国家において法を遵守する事は当然とは言う物の、その法を制定している政治家自体は法を遵守しているだろうか?
故人を侮辱するつもりはないけれど安倍元首相も様々な法的問題を未解決のまま来世へ旅立たれ結局真実は闇に葬られたままである。
実際問題、安倍元首相が銃弾に倒れ命を落とした事で自らの悪事が表に出なくなった事を喜んでいる者は決して少なくは無い。
安倍元首相の国葬に賛成している議員の中にはそういう物も少なくはない。
今も多くの政治家における違法問題は国会の中心的議題となっており、にも関わらず数量的優位性を持って与党は野党の追撃に対して逃げの一手である。
遂にはその自らの違法行為に対して国民の知る権利や国民の怒りを発する場すら、法的に規制しようとする法案が出され可決された。
今や与党のやりたい放題である。
さて、ここで今一度考えて頂きたい、法を制定する本人が違法行為を繰り返し、法を遵守すべき国民が法を破れば罰せられるのは果たして本当に法治国家として正しい事と言えるのだろうか?
残念ながら私にはそうは思えない。
確かに無法地帯の様に誰も彼も好き勝手やっていたら国としては機能しない、然し生活を営む上でやむを得ず法を犯さざるを得ない者を違法行為という理由だけで罰する或いは糾弾する事は人として正しい事と言えるのだろうか?
私はそうは思わない。
以前、某ショッピングデパートの裏側で未成年が複数人喫煙をしていた。
私を見るなり彼らは慌てて煙草の火を消して何食わぬ素振り見せた。
私は彼らにこう言った。『消さなくても言い、一々目くじら立てる事はしないよ。吸ってもいいが吸い過ぎには注意しろよ、癌になって君達が亡くなって悲しむ人も沢山いるだろ?その人達を悲しませる事だけはするなよ』と言ってその場を立ち去った。
その日の仕事を終えて帰宅しようと駅に向かう途中又、彼等にあった。
バツの悪そうな顔をして私がエレベーターに乗る補助をしてくれた、そしてもう煙草はやめると言ってくれた。
今まで頭ごなしに注意をされ其に腹立てて反抗の意味もあったと、でも私に諭されて目が覚めたと言ってくれた、
私は迚も嬉しかった。
私自身、何か法に触れた事をしてしまった時に、頭ごなしに言われたり脅されたりしたら、恐らく彼らの様に反論し、或いは其を改めるという考えには至らないだろう。
人には感情がある、夫々の思いがある。
どうしても曲げられない思いという物も其処には有る。
其を汲み取れるか否かにより互いの理解は大きく異なってくる。
あれをやるからこれをするなという交換条件を示すのではなく、此方の言い分を聞く耳を持たず己の正義を押し付けるのでもなく、お互いの思う所の妥協点を見出す事は私は大切な事だと思う。
人の数だけ正義がある、其は法治国家であろうがなかろうが同じ。
歴史を紐解いてみてもその時代における正しさについてその時代に生きる人達が苦悩し悩み苦しみその結果、自らの命を賭して其を変えようとした事によって時代が大きく変革した事実は枚挙に暇が無い。
『二・二六事件』や『五一五事件』等は正にその典型、いつの世も時代を変えようとする者達の多くの犠牲により、時代は大きく変容していると言えよう。
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