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『核家族化が齎す社会病質及び精神病質に於ける常態行動心理学的分析』

此処数年親子関係に新たな問題が勃発してきた。 『誉めない、謝らない親』が増えてきたのだ。 そしてそういう親に育てられた子どもは善悪の区別がつきにくく自己肯定しにくい性質を持つようになる。 それが代を重ねていくと自己肯定出来ないだけでなく自己否定型人間が出来上がり自傷行為を繰り返す事になる。 社会に於ける生産的思考が出来なくなり物事を好意的に受け取れなくなる。 全てに於いて懐疑的となり自分以外の人間を例え家族でも信用できなくなる。 最終的には自傷行為から他傷行為へと至り無差別殺人を犯す要因を生む。 話の飛躍というなかれ。 一心理学者としても長年犯罪心理を研究し続け多くの受刑者やその家族、被害者当人やその家族と接触し分析した分析結果である。 その裏に隠れているのは核家族化によるサンプル採取不足が挙げられる。 昭和初期迄は日本も大家族で親兄弟は基より親戚迄一つ屋根の下で暮らしており日本国内に居ながらにして異質性について学ぶ事が出来た。 親戚と言えど生まれも育ちも違えば物の考え方や捉え方それらを感じる感じ方や表現も全て違う。 当然罪悪感やその程度も違う。 狭い空間の中に大人数が暮らしpersonal space確保が難しい状態に於いては無意味な争いは自らのpersonal spaceを狭める結果となりそれは自らの不利を生む。 故に間違いは間違いだと認め素直に謝罪をする。誰かが善い事をすれば皆がそれを認め誉め合う。 そうしなければidentityを確立できなかった時代であった。 だが現代は違う。 家庭でも個室が与えられ食卓を家族全員で囲む機会も少なく職場も隣人との境を仕切りで仕切られ一日社員の多くと顔を合わせる事もなく退社が叶う。 社内で何か事件が起きても何処の部所の誰かすら解らない。 そういう社会の中では共生とか共闘という精神は失われ一個の個体として生きる選択肢しか与えられなくなる。 本来家族は血を分けた存在なので言わば自らの分身の一つであるべきで互いを思い慈しみ愛すべき存在なのだが核家族化が進み個別主義が横行してくると愛すべき対象が家族から自分へと変化してくる。 すると生物学的生存本能が働き自らの保身を第一に考えるようになる。 自らの非を認める、他者を誉めるという行為は自らの存在を熟知し認知しその存在を自らが精神的に維持出来なければ行えない行為である。 自らの非を認め、他者を誉めても尚、損なわない人間性や生物学的生存確率が無ければ出来ない行為である。 そして実際それが出来ない親が増えている。 それは全体主義から個体主義へと政府や経済が移行してきた結果生まれた負の遺産である。 このままこれを放置し続ければ今以上に社会病質及び精神病質を患う者は増え無差別殺人が増え続けるであろう。 刑罰を重くしても監視体制を強めても社会システム事態を変えない限り歯止めは効かない。 寧ろ厳罰化、監視強化をすればそれらはより凄惨を極める事になるだろう。 政府が断行しようとしている集団的自衛権行使はこの精神病質及び社会病質を産み出し無差別殺人を犯す犯罪者を量産する結果を産み出す愚行である。 日本を犯罪大国としたいならば集団的自衛権行使をなさるが良い。 されどそれは結果的に日本という国の消失を意味する事を政府は失念なさるべきではない。 私はこれからも常態行動心理学者として心理学者の立場から集団的自衛権が齎す功罪を説き続けたいと思う。

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