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『常態行動心理学的美醜論』

美醜の基準に普遍性は存在しない。
時代的空間的場所的制度的制約を受ける。
或る時代では美とする物が違い時代になると
醜となるcaseもある。

或る空間では美とする物が
或る空間では醜となるcaseもある。

或る場所では美とする物が
或る場所では醜となるcaseもある。

或る制度では美とする物が
或る制度では醜となるcaseもある。

つまり美も醜も普遍性は存在しない、
美醜基準の根源的発現点は人の危機意識。

己に余裕があればそれは美と捉えられる。
己に余裕がなくばそれは醜と捉えられる。

貴方は美人ではないと明言する者の
心の裏側にあるのは美人ではないと
する対象者への生物学的危機意識の現れである。

生物学的危機意識があればこそ
相手の美は己にとって驚異となり
それを排除する為相手の美を否定し
それを無くそうとするのである。

我が元にはそういう己の美を
他者から否定され続け醜形恐怖症に陥りし
同胞がとても多い。

その同胞方々に私はいつも
この話を差し上げ醜形恐怖症からの脱却を図る。

醜形恐怖症の元は己の持つ
自己の多面性を知らぬが故である。

己の持つ自己の多面性を知る事ができれば
己の美醜に固執する必要はなくなる。

何故なら己の美醜以外に
己自身が誇れる物が幾つもあるからである。

己自身が誇れる物が幾つもあれば
美も醜も人の数だけ存在し
その美醜に普遍性がない事も
理解が叶うようになる。

そうなればもう醜形恐怖症等
恐れるに足らずである。

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