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『常識に対する地域的差異』

日本人特に知識人を自認する無知人はやたらと『常識』と言う言葉を使いたがる。 されどこの『常識』と言う言葉に地域的差異がある事を御存じない方がとても多い。 尤も解りやすい解釈で説明すると東洋と西洋とでは『常識』に対する解釈が大きく異なっている。 日本を始めとする東洋では『常にある意識』と言う意味でとらえている。 言わば時間軸で考えると縦軸である。 翻り西洋では『COMMON SENSE』と書く。 和訳すると『共通認識』となる。 これは横軸となる。 つまり東洋と西洋とでは『常識』に帯する時間軸の捉え方が違うのである。 されどこの違いも細かく見てみると同じ東洋でも日本と中国とでは又、少し違う。 それは風土的な差異が原因である。 中国は国土の広い多民族国家である。 翻り日本は国土の狭い単一民族国家である。 その違いが薬学の違いに現れている。 日本は速効性の西洋薬を好み中国では体に負担が少ない生薬を好む。 この違いが自己犠牲精神にも繋がり戦時中は『特攻隊』と言う世界でも類を見ない軍隊を形成しそれが世界を震撼させた。 日本国内に限定しても田舎は縦軸で常識を語り都会は横軸で常識を語る。 つまり田舎は先祖代々の因習を常識とし、都会は支持母体の規模を常識とする傾向にある。 こう考えてみると『常識』という言葉の多面性に気づかされる。 それはそれを使う人間自体が多面的存在である事の証明である。 『所変われば品変わる』と言いますが『所変われば言葉の解釈も変わる』というのが持論。 そう言うことも視野に入れて『常識』を語らぬと『非常識』と笑われしまう事を『自称常識人』の方はお忘れ無く。 今日も元気に頑張りましょう。

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