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『theory Harassmentと定説の流動性』

日本人は兔角『形』に拘る民族。

作法に始まり伝統に至る迄
有りと汎ゆる『形』に
日本人は古くから縛られている。

『形』には必要な物と不要な物がある。

作法や伝統は日本人である為に必要な物。
定説はその内容によっては不要な物もある。

例えば赤チンと言えば我々が子供の頃は
消毒薬として重宝しお世話になった方も
多いのではないかと推察。

然しこの赤チン、消毒効果は無い事が
最近の研究で明らかとなった。

私が子供の頃、水は1日2リットル摂取と
指導を受けたが最近の研究で誤りであると証明。

所謂、定説と呼ばれる物の多くは
流動的性質を持ち様々な影響を受ける。

それは時代的、地理的、制度的制約。

ある時代では定説だがある時代では異説となり、
ある地域では定説だがある地域では邪説とされ、
一定期間定説とされた物が期間後は無効化される。

これが定説の持つ流動性。

所がこの定説を日本人は何故か好む。
特に年配の方は定説に依存する方もいる。

まだ教育が浸透されない時代は
定説は立派な教育であり間違いと解らなかった。

長く正しいと信じ混まされてきた方々は
間違いだと気付かされても尚、定説を
信じ続ける人が後を絶たない。
其が新たなHarassmentを生む要因となる。

其がtheory Harassment。

先に述べた通り定説は流動的で
様々な影響を受ける物で
正解は存在しない物。

にも関わらず多くの人は
定説に依拠し従わぬ者を
排除する傾向が強い。

そういう方々に定説の持つ矛盾と
脆弱性及び更に説得力のある真説を唱える。

最初は激しく抵抗する人も
真説の持つ整合性と堅牢性に
納得をせざるを得なくなる。

そして定説が定説ではない事に気づく。
定説はあくまでも流動的性質を持っている物で
それ自体に普遍性は存在しない。

何故なら唱える人間自体が
普遍性を持たぬ存在だから。

普遍性を持たぬ人間が
普遍性を説ける筈もない。

その事をtheory Harassmentを行う人々は
肝に銘じるべきである。

私はこれからもtheory Harassmentには
更なる上位的理論で対抗し完膚無き迄
叩きのめし粉々に粉砕する。

そうせぬ限り犠牲者は後を絶たないからである。 

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