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『音楽療法の必要性』

我が元に来られる方は
実に様々な悩みを抱えて
我が門を潜られる。

最近特に多いのが『聴覚』に於ける異常、
そこからお心を病まれる方が
此処数年激増している。

而も老若男女問わず。

上は80を越える方から下は一桁代迄。
こうなると一種の社会問題であり社
会的病理現象と言わねばならない。

彼等彼女らの多くは病院に受診をしてまず、
『耳鼻咽喉科』に通され、『聴覚検査』を受ける。

勿論『聴覚』に異常はない。
すると今度は『心療内科』に回されて、
又、受診する。

其処でもやはり異常は見当たらず
取り敢えず精神安定剤を処方され帰途に着く。

勿論これで治れば問題ないが、
大抵の場合、これで完治する事は難しい。

その結果、人伝で我が門を潜る事になる。

意外と精神医学会でも軽視されていますが
現代は稀に見る音社会であり音により
お心を患う方が年々増えている現実を
多くの人はご存じありません。

それは小さい頃から様々な生活音に
慣れ親しみ音楽と言うメロディに対する
抵抗力や反応力が低い事に起因しています。

一歩外に出れば何らかのメロディに現代は溢れ、
無音状態を作り出す事が困難な状況に有ります。

それは受動的に音が入ってくると言う意味であり、
翻せば能動的に求めなくても音が入ってくる為に
主体的に音を求めないという事に繋がります。

それは五感に於ける聴覚刺激が弱い事に繋がり
脳に於ける刺激の減退を意味します。

昨今CDの売れ行きが雪崩れ式に落ちている原因は
外界に溢れる不必要な音が原因です。

つまり音飽和状態となり家でも
音楽を聴いていたくないとする人が
多いからです。

すると今度は音に対する
拒絶反応が現れてきます。

昨今の音楽は単調で解りやすく
覚えやすい事を主眼において作られおり、
覚えやすい反面飽き易い側面を持っている。

飽きられ易いという事は
飽きた音楽を町中で聞く事は
大きな苦痛となります。 

冒頭の患者さんの場合、これが原因です。

ではどうすればよいのか?
耳を塞ぐ事は不可能、
生活が送れなくなる。

ならば音楽に対する抵抗力を
つければ良いのです。

私の持っているiPadを初め
携帯にも楽器演奏アプリが幾つか入っている。

それを同胞に渡し自由に演奏して貰います。
iPadや携帯を持っている人は家でも。

すると主体的に音を求める習慣が出来ます。
その中で私は作詞作曲をさせます。
勿論私を含めて素人ばかりなので
本格的な作詞作曲等出来る筈もありません。

然し不定形でも音程が
あってなくても構わないのです。

所謂即興音楽の楽しさを
理解して貰えば構わないのです。

するとこれまで外界から流入してくる音の
洪水に対する抵抗力がついてきて音に対する
過剰反応や過敏症が軽減されなくなります。

薬に頼らずとも生活が叶うようになります。

更に言えば汎ゆる心理学的分析に於いても
音楽を幼児期から親しませる事は
とても大切だと言わねばなりません。

内外に音が溢れる日常生活において
自らが好む音を求めようとするならば
今や演奏以外に手はありません。

この自らが好む音を自らが求めると言う行為が
情操教育にはとても大切なのです。

つまり己を成長させてくれる
脳細胞を刺激する音を自らが見つけ育てていく。

これが脳の発達力をあげるからです。

歴史に名を残す偉大なる作曲家、
音楽家達は既存の音楽に
満足感や刺激を得られず
『自らが作り出す音楽』により
満足感や刺激を得てきた。

それが脳細胞を刺激し
更なる創作意欲を掻き立てられ
稀代の音楽家となる事が出来た。

本当に音楽を生業と子供にさせたいならば
幼少期から音に慣れ親しませるだけでなく
自らの手により音を生み出す行為こそが大切。

楽譜通りに音楽を奏でる事も大切です。
されど自由発想で奏でさせる事は更に大切。

一心理職として私はそう考えます。

サポート頂いた方の思いを私なりに形にし世界へ発信していきたいと考えています。人は思いによって生かされている事を世界へ発進する為の資金に使わせて頂きます。