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『双極性存在論』

例えば善と悪。
光と闇。
神と悪魔。

例えは何でも良いのですが
真逆に存在する物(双極的存在)の
存在価値について多くの研究者は
各々の価値を同等とする考えが
哲学を始めとして多くの学派では主流。

善が有るから悪がある、光があるから闇がある、神が居るから悪魔が居る、
対する存在があってこそ片方が存在する。

片方だけの存在は
あり得ないとする考え方。

されど私はこの考え方に
異議を唱える異端者。

善と悪、光と闇、神と悪魔、
この内左側に位置する物は
独立的存在が可能な存在です。

されど右側に位置する存在は
付随的存在であり、独立的存在では無い。

つまり片方の存在を消そうとする側ですから
消す対象が無ければ存在意義は有りません。

一方独立的存在は消そうとする存在がなくても
独立して存在が可能な存在です。

つまり対象的存在でありながら
それらの存在価値の比重が違う訳です。

これは人自体にも
当てはめる事が出来ます。

我が元には己の存在を否定し
存在を亡き者とされ
己自身の存在価値を見失った方々が
多く来訪されます。

その方々に私は何時も
この『双極性存在論』をお話しする。

貴方を排除しようとする方々は
貴方と言う存在を抜きに
存在意義を語る事は出来ない。

されど貴方はその存在の有無に関わらず
存在意義を語る事が出来る。

何方の存在価値により
比重があるかは言わずもがな。

誰かを何かを排除する事で
己の存在を誇示する物は
その存在なしでは
生きられない方々です。

翻り排除される側の存在は
排除する存在がなくても
その存在が叶います。

そう考えれば己の存在を
其処に見出だす事が出来ます。

私はこれからも
多くの存在意義を否定された方々の
存在価値を見いだしそれらを否定する者達の
存在意義を消失させたいと願います。

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