見出し画像

『Discrimination Harassment』

Discrimination Harassmentとは我が造語。
日本語に訳すと『差別的嫌がらせ』となる。

今の日本は何でも差別と称して禁止する。

運動会に於ける順位の禁止。
学芸会に於ける主人公の禁止。
禁止事項は他にもある。

カルピス初期ロゴマークの黒人マーク禁止。
みんなのター坊禁止。

順位を付ける事は下位に置かれる者の差別。
主役を決める事は脇役に置かれる者の差別。

カルピス初期ロゴマークは黒人差別。
みんなのター坊のター坊は知的障害者差別等
枚挙に暇がない。

差別だと声高に叫ぶ方はそれでよい。
だが叫ばれた者の立場を考えた事はあるか?

ロゴマークや商品に対する異議申し立ては
その商品開発者に対する侮辱行為。

これも立派な差別行為である。

昔は所謂現代的差別語がmediaに出ていた。
然れど其処に気を留める者は居なかった。

今は所謂現代的差別語がmediaに出ない。
然れどそれにより余計に差別意識は高まる。

差別を差別だとする事は新たな差別を生む。

例えば加害者の人権を守る事に対して
例えば男女同権や雇用機会均等法について。
例えば年金や生活保護受給者に対して。

それら片方にマスメディアや
国が関与する事で存在に目を注がぬ者迄
それらに対する視線が向けられる。

それが又、更なる差別を産み出す。

差別を差別とせず個性と受け入れる。
その事により差別が浮き彫りとならず
差別は差別として認識されぬようになる。

私は山口で最初に身体にhandiを持つ者として
小学校から大学迄一貫して普通学級への進学を
希望し成し遂げてきた人間。

当時はまだ身体にhandicapを持つ者の
普通学級への進学率は低く
裁判沙汰となって初めて入学を許可される時代。

日本国憲法に於ける基本的人権等地方ではまだまだ適用不可能な時代であった。

地方自治と言う言葉の解釈を
大きく履き違える人間が
多く存在していた時代でもあった。

その中で私は差別と嘲りと暴力と侮蔑の中で
懸命に耐えながら戦い抜いた。

差別と言う目に見えない渦の中で
懸命にもがき続けた。

高校まではその渦中に有ったが
我が努力は地元随一の国立大学入学と
同時に実った。

その頃になると私をhandicapperとして
見る者は皆無であった。

寧ろ他のhandicapperを見て
その人の大変さを私に説く始末。

私もhandicapperの一人だと
告げると私は私と車椅子の一揃えで
私と言う存在だと彼ら彼女らは認識しており
其処にhandicapperと言う認識はない。

私は大学入学後初めて
人として生きる喜びを知った。

其処からは私の面目躍如ある。

常態行動心理学者として
多くの同胞と苦楽を共にして今がある。

差別を差別だとせず差別を個性とする。
我が信条は今も変わらずである。

そしてそれを私と類似性の高い
Handyを体に持つ者へも
私は私の実体験を元に話を差し上げ
得心され奮起されておられる。

私はこれからも凡る差別と戦う。
そして勝利する。

それが私の生きる道だと私は確信している。


サポート頂いた方の思いを私なりに形にし世界へ発信していきたいと考えています。人は思いによって生かされている事を世界へ発進する為の資金に使わせて頂きます。