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『エネルギー考』

物理的に考えても
超心理学的に考えても又、
生物や人間の進化の過程を辿ってもエネルギーの存在は必要不可欠である事は明白。

されどエネルギーの捉え方も
又、人により様々。

国は原発の必要性を説きながらも安全性は不透明性を残したまま。

これまで数々のエネルギーが
生まれては消えていきました。

人力から始まり、石炭、火力、
水力、風力、太陽熱そして原子力迄人類は辿り着きました。

確かに自然エネルギーには限りがあります。

増え続ける人口を支える為には
原発が必要であるとする考えも一理あるかも知れません。

然しまだ人類が原子力を
手にするのは余りにも早すぎる。

勿論何れは原子力発電抜きに
語れぬ時代がやって来るかもしれません。

然れど今では無い。

国は少子化問題や福祉を盾に
原発の必要性を説いている。

私はこの問題に真っ向から反対。

少子化問題が深刻化し
所謂老々介護の現実を
私自身地元でも目にする機会はあります。

だが要介護老人ばかりではありません。
70を過ぎて尚、海に潜り魚を取る
海女が我が地元山口にはいます。

そして彼女の後継者として
若い世代の女性が彼女の下で
懸命海女修行に励んでいます。

特に過疎地域や限界集落地域においては老人も立派な労働力の担い手となっています。

国はそういう現実から目を背け
介護問題を盾に、原発推進を図ろうとしている。

私の回りに目を転じても
まだまだ十分働ける
気力に溢れた老人は大勢居ます。

年齢とは行政がその便宜上
仮に定めた制度に過ぎず
年齢自体に意味はありません。

然れど日本では後期高齢者
医療制度を初め
自らが老人である事を
義務付けられる制度が
溢れています。

高齢者が派手な服装をすると
似合わないと言い、
活動的な行動を
危険だからと制限する。

それは経験値の少ない幼児に
危険だからという理由で
親が過保護となりその結果、
何の経験も積まぬ内に大きくなり、幼少期に積むべき経験を積めなかった為に苦労する青年の姿と同じです。

年輪を重ねた者だからこそ
出来る事や気付く事は
実に沢山有ります。

我々も幼少期には出来なかった事が少年期や青年期になって
出来るようになった喜びを経験した事は誰しも持っている筈です。

老年期になればこそ
青年期や壮年期には出来なかった事や気付けなかった事が出来たり、気付いたりする事も有ります。

経験とはお金では買えない価値のある物。 それを老年期の方々は沢山持っています。

その知識や経験を活かせば
老年期の方々も立派な日本を支える労働力の担い手となれます。

真のエネルギー資源とは
人的資源であるが我が持論。

自然エネルギーは枯渇します。
人的エネルギは枯渇せず。

政府は原子力発電等の
未來エネルギーにばかり
目を向けるのではなく
現存する人的エネルギーに
もっと目を向けるべきです。

私はこれからもこの人的エネルギーの開発に尽力し、多くの老年期の方々が日本を支える
労働力の担い手となる努力をして参ります。

それこそが長寿の秘訣だと知っているから。

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