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常態行動心理学的信仰心について♪

私はクリスチャンです。 洗礼も受けています。 ホーリーネームもあるはずですが忘れました。 昨日某番組で息子の全ての奮闘を神の思し召しとされたお子さんが激怒し其処から長期間絶縁状態であった物が長い時を経て和解するという話を見ました。 私はこの話を聞いてとても違和感を覚えました。 神と人間の関係は言わば親子に同じです。 子供の頑張りは子供の成果でありそれを親である神が祝福する事はあってもその手柄を横取りするような事はなさいませんし望まれないはずです。 この両親がやられた事は子供の手柄を神に受け渡した行為に同じ。 それは信仰心から遠く遠ざかる言わば背信行為。 全てを神の思し召しとするのは人間としてやらなくてはいけない事を放棄する愚行に同じ。 お子さんの怒りは極めて生物学的な反応と言わねばなりません。 そもそも神とは何か? 私の考える神とは人間の寄る辺であり宿り木であるという考え方です。 最後に頼るべき場所、即ち両親と同じ位置付けです。 両親と同じ位置付けならば子の手柄は子の手柄として認め誉めてあげる事が必要だと考えます。 実はこういうお悩みも結構年間を通して私は頂戴します。 中にはお悩み相談はフェイクで宗教の勧誘に来られる方もいます。 そういう方にはこの話を差し上げています。 宗教勧誘で儲かるのは子供だけ。 親たる神には得はありません。 それをさも神様の為とする事自体神への冒涜です。 私は信仰心は認めますが人間のエゴによる神への冒涜は認めません。 正しい宗教家がもっと日本に増えてくれる事を神も求められていると私は思います。

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