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関ヶ原の戦い

#関ヶ原の戦い
関ヶ原の戦いで太閤秀吉の逆賊扱いを受ける徳川家康と小早川秀秋だが私は異なる意見を持っている。太閤死後既に政権は二分され、内部分裂は不可避であった。国の平定や己の守護国民を重んじた家康と秀秋は真に国や民の事を憂い逆賊の汚名を受けても守りたかったのではないかと私は思う。その証拠に徳川政権を盤石な物として直ぐ家康は家督を子に譲り己は隠居の立場として国の行く末を死ぬ迄見届けている。事実それ以降明治維新が起こる迄大きな戦は避けられてしているからである。

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