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『叱る事に対する歴史的変遷とそれに纏わるmental sick』

駅構内を傍若無人に走り回る子供がいる。
それを見て無関心な親がいる。

回りも眉根を寄せるも何も言わず。
これが現代日本の姿である。

我々が子供の頃は御近所に大抵一人は
『御意見番』という怖い御老体が居られ
悪戯をする子供を何処でも怒鳴り散らしていた。

私もよく怒られた口である。

御近所のおばさんも
我々には煙たい存在であり
隠れて買い食いでもしよう物なら
又、怒られていた。

常、監視の目があり其が抑止力となり
未然に青少年を犯罪者にせぬ
システムが出来上がっていた。

最近はレストランで子供が走り回っていても
回りも親も注意をしない。

珠に堪り兼ねて注意をしたら
親が血相変えて怒鳴り散らす始末。

現代日本の終焉は此を見る限り
決して遠くないと思う。

我が家は母も私も厳しい
教育環境の元で育ち今がある。

故に不正に目を瞑る事は
出来ない性格なので
誰の子であろうが
社会逸脱行動をとる者は
激しく叱責をする。

子供は馬鹿じゃない。

きちんと愛を持って叱れば
ちゃんと理解をする。

そういう子が大人となり親となり
私が嘗て彼ら彼女らにしたように
彼ら彼女らも又、子供に同じ事をする。

野放しにすれば負の連鎖が起こり、
教育をすれば正の連鎖が起こる。

子供を屋外で怒る事は恥ではない。
寧ろ野放しにする方が
親の教育能力欠如を示す恥である。

最近の親御さんを見ていると
それを履き違えているように
我が目には写る。

更に散々家で叱り疲れ
外では自分自身が
楽をしたいから怒らない親もいる。

それは寧ろ逆である。

公共の場だからこそ
正しい教育が必要なのである。

嘗て私が叱責した子供は
全てその後立派な大人となり
国を支える礎となっている。

彼ら彼女らは我が叱責のお陰で
道を踏み外さず今があると
感謝をしてくれている。

子供は親以上にちゃんと大人を見ている。

下らないPRIDEや虚栄心は捨て、
本当に親として何をすべきか?
今一度野放図な親には猛省を求めたい。

野放図な親の放任主義が
後に社会病質や精神病質を
患う原因となる事を
野放図な親は痛感すべきと考える。

私は相手が誰であれ
場所が何処であれ間違いは
間違いとしそれを正し、諭す。

嘗て雷親父に雷を受け続けた少年は
時を経て当時と同じ雷親父になりました(笑)。 

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