見出し画像

『芥川賞直木賞作品に見る国内純文学考』

今年の芥川賞、直木賞が発表された。
その是非について敢えて此処では触れぬ。
近年の芥川賞、直木賞受賞作品を見ていると
私はある種の危惧を禁じ得ない。

其は『読む』から『観る』への変化。
一言で表すとそうなる。

つまり此処近年の芥川賞、
直木賞受賞作はその殆どが
『映像化』目的で選ばれていると言う点。

確かに過去の古典的名作も多く映像化され
名優による名演が光る作品となっている。

だが何故小説が映像ではなく
文字で表されているのか?

其を今一度選考委員方々には再考を願いたい。

脳科学、神経学、及び我が専門の心理学的に
分析すると文字の脳への情報入手と映像での
情報入手は経路とその効果が異なる。

映像媒体は視覚だけでなく聴覚も劇場鑑賞作品に限るが音響効果による振動、即ち触覚も刺激をする事となる。

最近では映像の中の薫りまで感じられる劇場もあるとかで驚かされるばかりである。

翻り文字媒体には聴覚や触覚、
嗅覚を刺激する物は少ない。

せいぜいページをめくる音や本の質感、
本自体の臭いを感じる程度。

殆どは視覚から入る文字情報に依拠される。

この違いは脳と細胞に如何に変化を齎すか?
情報が少なければ少ない程神経学的な緊張は
高まる。

更に文字媒体のみだと
己の過去の体験から得た
五感情報からしか脳内では
映像化できないので一人一人作品の
脳内映像は異なる事となる。

脳内映像が異なれば
結果的に作品に対する
見方や感じ方が大きく異なる。

翻り映像媒体作品は
見せる側が全て代行する為に
想像の手間が省ける。

その分脳神経及び細胞の活性化率は低下。
実はこれが近年の活字離れの原因である。

本来は優れた純文学作品に賞を与え
それにより多くの国民に
書物への興味関心を得て貰おうというのが
元々の目的であった筈である。

それが近年は商業主義的に走り、
純文学と言う分野に対する
位置づけが大きく変貌するに至り
それが日本国民の活字離れを
助長させる結果となっている。

問題はそれだけではない。

活字離れは細胞死滅率促進にも繋がる。
前述した通り得られる五感情報が多い分、
進んで情報を得ようとしないので
情報に対する刺激率は低くなる。

当然細胞活性率は落とされ
結果的に死滅率が高くなる。

つまり寿命が短くなると言う訳である。

日本が長寿国と呼ばれているのはこれまで。
これからはどんどん短命国となる。

いずれ人生50年時代の再来となろう。

そうなる前に芥川賞、直木賞選考委員方々には
商業主義的選考を止め、本で読ませる作品に
対して賞を授与させるべきだと私は考える。

既に私は10年以上芥川賞、
直木賞受賞作は読んでいない。

私読む価値を見出だせない。

本当に読ませる芥川賞、直木賞受賞作の
誕生を切に望むものである。


サポート頂いた方の思いを私なりに形にし世界へ発信していきたいと考えています。人は思いによって生かされている事を世界へ発進する為の資金に使わせて頂きます。