『検索症候群に於けるcommunication不足が及ぼす社会病質及び精神病質に対する常態行動心理学的分析』

最近はネットに繋げば大抵の答えは返って来るようになっている。 私も何か解らない事があれば直ぐにネットに繋ぎ回答を探している。 されどこの事は実は新たな社会問題を引き起こす引き金となっている事に気付く人は少ない。 最近駅構内で利用客が駅員に質問をしその回答を得た後、お礼も言わず立ち去る場面をとても良く目にする。 しかも老若男女問わずというのだから我が目を疑いたくなる。 人に何かを尋ねる、その回答を得る、その回答を与えられた事に対してお礼を述べる事は人が人として生きる上での最低限度の常識だと私は考える。 常、質問に対して駅員が答える義務はない。 駅員の服務規程に全ての利用客の質問に答えなくてはいけないという規則はない。 そして其は日本国憲法下に於いても明確な記載はない。 相手はコンピューターではなく人間。 完璧で迅速な答えを求めたいならばネットに繋いで答えを探すべきである。 そしてそれらは新たな社会的病理を生む温床となりつつある。 表題に有る社会病質、精神病質である。 これらの精神疾患は自らの行いに対して一切の罪悪感を持たぬという物である。 常、ネットを相手にしていると上記のような生身の人間とのcommunication能力に著しく乏しくなっていく。 所謂SNS症候群に見られるように嫌なら友達から削除すれば関係は切れる。 されど現実世界はそうはいかない。 嫌だからといって削除はできない。 そうなると自らの正当性を訴え相手の存在を否定しそれによりその存在を消す以外にはなくなる。 以前同胞からこういう悩みを聞かされた。 自分のネットフレンドに一般常識に欠ける人間がいて切りたいが氏と共通の友達が多く下手に氏を切ると他の友達迄切られそうで怖いから切れないと言っていた。 私の同胞も私のネットフレンドの一人であり氏の切りたい人との共通の友達はその全てが私の友達である。 私は同胞に伝えた。 『迷わず切りなさい。貴女の友達は全て私の友達である。貴女が氏を切っても私と貴女が友達である限り友達は貴女を切り捨てはしない』と。 事実氏が問題を起こす友人を切ってもその共通の友人は氏を切らなかった。 だが こういうケースばかりではない。実際一人を切った為に他の友達から総すかん食らったケースもある。 こういうcommunication能力に著しく乏しくなると社会病質及び精神病質に罹患しやすくなる。 それを回避する為には普段から己の多面性を知る必要がある。 そして自己愛を高める必要がある。 自己愛が高くなれば己の価値を落としたくないので人に対する接し方も変わってくる。 そうなればcommunication能力は格段に上がる。 その事が結果的に社会病質及び精神病質回避に繋がる。 私はこれからも己の多面性をお教えする事でcommunication能力不足による社会病質及び精神病質回避に尽力する所存である。

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