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疚しさの行方

#疚しさの行方

例えば何か作業中に
他所から誰か来て
慌て其を隠す。

この場合隠す方に
疚しさがあると
一般的には判断される。

疚しさが無ければ
隠す必要は無いと。

然し私はその考えに
異議を唱える。

例えば私の様な
心理職の場合、
守秘義務が有る。

相手が誰であっても
クライアントの
個人データを見られたら
信用に関わる大事。

故に必然的にデータは
隠さざるを得ない。

其は隠す方に
疚しさは無く、
仕事柄隠さざるを
得ないのである。

更に隠さねば
ならぬ相手もある。

例えば人間拡声器等は
典型と言えるだろう。

下手に見られて
情報拡散され、
而も根も葉もない
事迄付加され、
拡散されたら
此方は堪らない。

この場合寧ろ
疚しさを求めるのは
隠す側ではなく
隠される側に
求められる。

勿論情報元の
関係者等は以ての外。

この様に全てにおいて
隠す側に疚しさはない。

寧ろ隠さねばならぬ相手
にこそ疚しさが存在する。

そういうケースも
私はあると思う。

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