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憐憫という名の違法性

#可哀想
#違法性

可哀想という言葉の
成り立ちを考えた事は
ありますか?

可哀想という言葉の
成り立ちは哀れと
思うべきである。

つまり可哀想
という言葉には
憐れが含まれる。

そして憐れの裏側には
私は憐れではないと言う
傲慢と相手を憐れむ
優位性である。

可哀想という自分は
言われる側より優位で
言われる側は下位に
置かれるという意味。

つまり可哀想という
言葉は差別語である。

世の中目に見える
差別語には反応するが
こういう見え難い言葉は
反応する人は少ない。

然れど言われる側は
其を敏感に感じ取る。

其をお忘れ無く。

時にその言葉は
違法性を持ち
捕縛対象となる
事をお忘れなく。

私は嘗てその言葉を
発した者を侮辱罪で
捕縛し刑に服させた。

妄りに使って良い
言葉では無い。

少なくとも私に使った
馬鹿は全員入牢されている。

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