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『努力の反作用に於ける方向性の常態行動心理学的定め方』

最近我が元に来られる方の中に新たな悩みを抱えてやってこられる方々が増えました。 今迄は『努力の方向性』が定まらず求める結果が出ない自分に対する苛立ちからお心を病むケースが多かったのですが最近はその影響が外に向けられておりご自身の努力が回りに反映されていない事に苛立ちを覚える事でお心を病むケースが増えてきました。 これは何を意味するのか? 努力の方向性は合ってます。 されどその努力を示す鏡の選択を間違えている。 鏡が光を反射させその屈折率により対象物を写すようにその屈折率は人により様々です。 自分は限界迄努力をしているのに相手は努力をせず他者批判ばかりしている事が癪に障るという方が増えています。 ではどうすれば良いのか? 先ず改善すべきは『限界値』の設定の仕方です。 殆どの場合『限界』だと感じている方々の『限界』は『限界前』であるという事です。 本当に『限界』迄努力をしていたら『達成感』が上回り努力が出来た自分自身に満たされ回りの反応に目を向けなくなります。 もう一つ大事な事は『努力をした結果の表現方法』です。 努力には方向性が有る事は前述しましたが結果の表現方法については触れていません。 努力を幾らしてもその結果に於ける表現方法を間違えたら求める反応は得られません。 努力をせぬ者からの一方的な批判は努力をした人間の側から見れば堪え難い屈辱です。 私も何度も辛酸を嘗めてきました。 されど努力に於ける結果の表現方法について思いを巡らせた時、その表現方法が正しくなかった事に気づいてからはその表現方法について深く思索を巡らせるようになりました。 人は関心がない事についてどれだけ相手が努力をしてもその努力を認める事はありません。 翻り自らの関心事に於ける他者の努力とその結果に対してはとても激しく反応します。 つまり自分の回りに居る方々に自らの努力の形の多面性を示す事で相手の口を封じる事が出来るようになるのです。 実はこれ、セクハラやパワハラの回避にも役立ちます。 これらの多くはその名が示す通り嫌がらせですからそれを封じる為にはこの人間には叶わないという苦手意識を植え付けさせる事が出来れば嫌がらせはしなくなります。 嫌がらせが嫌がらせとして成立するのは嫌がらせをする側が嫌がらせをされた側の抵抗できない身悶えを見るのが楽しい訳で身悶えをしなければ更にそれにより元気を与えてしまうならば嫌がらせをする意味がなくなります。 その事により私は多くの嫌がらせを凡る場所から遠ざけてきました。 これからも私は私自身の独自理論により全ての社会的嫌がらせ撲滅に寄与していきたいと考えています。

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