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『心の壁を壊す方法』

同胞や生徒、弟子等が私に良く言う言葉、
先生にどれだけ壁を作っても無駄』

つまり幾ら心を隠そうと偽ろうとしても
私には無駄だと言う事を指している。

残念だが私には人の心は透明ガラスと同じ。
どれだけその姿を隠しても全てが解る。

何故か?

見せたくない部分がなければ人は隠さない。
見せたくない部分があればこそ人は隠す。

隠す事は当然ながら守りに入る事です。
守りに入れば攻めには転じる事が叶わない。

だから攻め手が手薄になる。
攻め手が手薄になれば其処に隙が出来る。
その間隙を縫えば心まで一直線である。

私は基本誰に対しても心を開いている。
開いているから閉じているとは思われない。

閉じていると思わないから相手は安心する。
相手は安心するから相手も心を開く。

だが、実際私は心を開いていない。
正確には開く相手をちゃんと選ぶ。

私を必要とする方々には心を開く。
私を不要とする者達には心を閉じる。

だが見た目は心を開いているように見せる。

故に相手は慢心して心を少し開く。
ほんの数ミリ開けば私の勝ちである。

後は力技で強引にこじ開けるだけである。
相手も私の虚をついてくる。
だが開け放しの扉の奥にはもう一枚の扉が。
その扉は鋼鉄製で分厚く中々開けられぬ。

相手が扉を開けるのに戸惑う間に
私は核心へ迫り一気に攻め落とす。

これが心理戦術の極意である。

言葉にすると簡単だが実行はとても困難。

何より瞬間的な判断力を求められる。
何より瞬間的な分析力を求められる。
何より瞬間的な演技力を求められる。

それは日々の訓練によって得られる物。
それを私は同胞にも説いている。

だがその説き方は皆、同じではない。
何故なら理解には方向性と深度があるから。

人により方向性と深度が違う。
それらを同じにしては理解は叶わない。

相手の心の方向性とその深度を図る。
そしてそれらを合わせる事から始める。

方向性と深度が解れば後はピース作り。
それを一つ一つ嵌めていけば良いだけ。

されど日々この方向性と
深度は可変的に変わるので
その都度ピースも変えねばならない。

その努力と労力を怠れば心は開かない。
心が開かねば心は変えられない、治せない。

心を開けば心は変わり、病も治せる。
多くの心の専門家はそれを薬で代用する。

私はそれを言葉でもって行う。
当然副作用もリバウンドもない。

どちらが効果的で安全かは言わずもがな。

それを私は30年以上貫き通している。
これからも我が信念は変わらず曲げず。
全ての心の基本、それは愛である。

薬でも技術でも肩書きでもない。

私はこれからも我が愛で心の病を治す。
私はこれからも我が愛で心の扉を開く。

其が我が信条である。 


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