悲しんでいい。たぶん。
それはオタクが勝手に描いていた夢。
永遠なんてない、と分かった風に言いながら勝手に信じていた未来。
その未来のセクゾに中島健人さんがいないという事実が
じわじわと心を蝕んでいる。
まずセクゾの曲が聞けなくなり、
楽しみにしていたドラマも、録画予約した番組ジャックも
自担のTverすら見られなくなった。
CDジャケットはもちろん
部屋のふまちょを見かけるだけで涙ぐむ私は相当様子がおかしいけれど。
今はしっかり悲しんでいいと思う。
理不尽な悲しみは時に怒りに向かってしまうことがあって
わたしもそうなりかけた。
TLでも悲しみが怒りに変換された方を何度か見かけて心を痛めている。
悲しむことは多分「自分の気持ちに向き合うこと」。
怒りは、そんな自分から他人に目をそらし、コントロールを失うこと。
やたら推察しちゃうのはオタクの性分なのだけど
今本当の事が分からない状態で推察を元に怒りをぶつけるのは
無意味なだけでなく、更に負の感情を引き起こす危険もあると思うのです。
(もちろん怒らなくちゃいけない場面もあります。それはまた別の話)
今は喪失感が大きくて笑って応援出来ないけど、それも仕方ない。
悲しみは悲しみとして受け止めて、一緒に泣いて、
どうしても怒りが止められなくなったら信用出来る友達に共有して
私たちが思っていたのと違う未来でも、きっと笑えるはずだから。
その時まで。
私たち、頑張りましょうね。
て書いた数時間後、
インスタという今までと違うステージでふまけんが展開されていて
オタクたちが次々に生命力を回復し、TLに彩りが戻っていた。
はええよw
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