アイドルとヲタクとライブ遠征 -モーニング娘。'24 石田亜佑美卒業発表を受けて

2024年5月26日(日)
モーニング娘。'24 石田亜佑美の卒業に関するお知らせ

2010年代のヲタク

2011年3月11日の震災。
日本の誰もが関わらずにはいられなかったあの大災害ですが、電気を多く使うエンターテインメント業界も特に大きな影響を受けました。
そういった環境でぼくもドルヲタだったからこそ、震災と復興について深く考える機会をもらった一人です。

石田亜佑美さんの卒業発表というタイミングで、このことについて少し掘り下げてみます。

モーニング娘。10期メンバー『元気印』オーディション

当時Berryz工房のヲタクだったぼくは、コンサートの前にはいつも『がんばろうニッポン「愛は勝つ」プロジェクト』のPVを見て、ロビーの募金箱に少しお金を入れたりヲタクたちが募金している光景を見ていたわけです。

震災による電力不足の中、興業を行うという電力を大きく立場で復興にどう貢献していくのかということに、アップフロントはいち早く行動したという印象でした。

そういう状況の中で5月に始まった「モーニング娘。10期メンバー『元気印』オーディション」はハロプロTIMEで随時ドキュメンタリーが放映され、そんな中に石田亜佑美の姿がありました。

ちなみにあゆみんと同じ事務所『STEPONE』からは田中風華さん(後にiDOL Street Student SENDAI Twinkle☆Moon)も参加していました、閑話休題。

『元気印』というテーマにはやはり震災からの復興という裏テーマもあったはずで、東北出身のダンス実力者であったあゆみんが新メンバーに選ばれたのは必然だったと思います。

ハロープロジェクトにおいての東北の復興というテーマは、この子とアンジュルム佐々木莉佳子ちゃんが中心になることによって一年二年で風化させずに骨太に続けていくことになったんです。

Dorothy Little Happyというアイドル戦国時代の象徴

あゆみんが宮城時代に所属していたスクール『STEPONE』。
ここには『Dorothy Little Happy』というグループがいて、あゆみんは同じ事務所の小中学生の選抜による『B♭』というグループとドロシーのバックダンサーをするための『HAPPYDANCE』というグループに所属してました。

『Dorothy Little Happy』もローカルアイドルとして順調に伸びていて、2011年春にavexからのメジャーデビューを控えていました。
リリースを前に震災に見舞われ、全てのリリースイベントがキャンセルされてしまったことが当時ニュースメディアでも扱われていたのを覚えています。
『B♭』のメンバー市内の地下レッスン室で被災し、あゆみんは家に帰るのに四時間かかったという話をしています。

『Dorothy Little Happy』は2011年のTIFで所謂『見つか』って翌年改めて彼女達がデビューする訳ですが、あゆみんがモーニング娘。になることで、彼女達がまた再注目されたのが大きかったです。

有名なヲタコール、\オレモー!/が流行ったこともあり、彼女達はアイドル戦国時代の中心グループの一つとして活動していくわけです。
個人的にはアイドル戦国時代のローカルアイドルは東の『Dorothy Little Happy』、西の『ひめキュンフルーツ缶』だったと思っています。

ヲタクとしての転機、Party Rocketsと藤田あかり

そういう訳であゆみんのおかげで知識として『STEPONE』の『Dorothy Little Happy』他のグループを知っていたのだけなのが2012年春のぼくの状況。

仙台当時、あゆみんと仲が良かったという渡邉幸愛ちゃんが『Party Rockets』新しいグループでデビューする(幸愛ちゃんは後に『SUPER☆GiRLS』に移籍)ということで、このタイミングがローカルアイドルというジャンルに触れるチャンスだろうということでデビュー前後の『Party Rockets』を見に行った訳ですが、ここで人生の推しメンである藤田あかりさん(後に『GALETTe』『Stella☆Beats』に移籍)に出会ったのでマジであゆみんには感謝しかない訳です。

ヲタクとして『Party Rockets』に関わることで東京と宮城を行き来する彼女たちを通じて東北の状況を感じることもでき、地元のヲタクからも当時の状況を聞くこともできた。
東北のメンバーもヲタクもなんとなく実体のない『被災者』という抽象的なイメージではなく、それぞれ個の人間なんだということを肌感で知ることができたのはとても貴重な経験だった。

横道に逸れますが、あかりちゃんに聞いた当時のエピソードを紹介します。
「うちのおじいちゃんがヒーローだったんだよ!」
どういうことかと聞いてみると、そこら辺から石とか拾ってきて即席のかまどを作って火を焚いてくれたそうです。

電気もガスも止まっている中で、暖かい食事を摂れたのがそれだけでとてもありがたかったということなんです。
「私なんてスマホがなきゃなんにもできないけど、昔の人はすごいよねー!」なんてのんきな言い方してましたが笑

あゆみんもどこかのインタビューで震災の日は電気が止まってしまって、冷凍食品が全部ダメになってしまうから、あの日はすごく豪華な夕食を食べたなんて話をしてました。

報道では取りこぼされがちだけど、当事者である彼女らやヲタクたちから血肉を持った話を聞くことができたからこそ、人ごとでなく震災を考えることができたことは自分の考え方の中では大きかったと思います。

ヲタクとしての復興への関わり方

とはいえヲタクばっかりしてるからガッツリ寄付したりそういう訳ではないんですよ。
宮城がだんだん復興していく姿も見ているのに大したことはしてない自分というギャップに悩む訳ですが、そんな時に読んだのが『Dorothy Little Happy』のダーリー(リーダー)白戸佳奈さんのブログ。

昨日、一昨日仙台でライブをしたけど

宮城県外の方が仙台に遊びに来てくれて、

仙台のおいしい牛タンを食べて、

仙台で観光をして、

仙台のおみやげを買って、

仙台でドロシーのCDを買ってくれるって言うのは

まさに『復興応援』だと思うんです。



まだ完全に復興していないところもあるけど、

みなさんにはたくさん復興応援をしていただいて

とても感謝しています。

かなでし●´□`)ノ私たちの使命

簡単に言うと地域外の人がその土地で経済を回して帰って行くことが力になっているということなんですが、演者である彼女がこうして言葉にしてくれたことにとても感動したのを覚えています。

復興支援もそうですし、自分の好きなアーティスト・アイドルが色々な地方でパフォーマンスするのを見に行く時にその土地でおいしいものを食べたりお土産を買ったりするのがその土地の役にたつということなんですね。

理屈では分かっていても、自分たちが身近に感じている人の言葉でそれが発信されることでより自分事として深く理解することができたんですよね。

こういうことの積み重ねで宮城を自分の第二の故郷だと感じるほど宮城が好きになったし、自分の遠征へのスタンスを決めてくれたのが彼女達東北のアイドルだったんですよね。
これは本当に感謝しています。

東北のアイドルというきっかけで、『地方で芸能活動するタレント』『地方でパフォーマンスするタレント』『ヲタク』という仕組みを学べたということなんです。

モーニング娘。の転換期

9・10・11期卒業しちゃうと本当にハローに知ってる子いなくなっちゃうなー。(ハロプロ研修生だった子は残ってるけど)

あゆみんと生田と小田ちゃんがいなくなると本当に道重期の雰囲気がなくなっちゃうよね。
生田30までがんばってくれ笑

影響与えられたアイドルっていう意味では石田亜佑美さん卒業はなんだかんだでぼくにとっても大きい節目だなあ。

推しメンじゃないのに影響与えられる子って、ヲタクやってると意外と多かったりします。

アイドルもヲタクも色々な出会いがありますよねー。
そんな中で自分の人生を変える出会いがあるのは、ヲタクやってる醍醐味ではないかなと思います。

東日本大震災から12年、アイドルヲタクだったからこそ風化せずに今でも考えられているきっかけになった石田亜佑美さんの卒業にあたって、感じたことをつらつらと書き連ねてみました。