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就職せずに独立してから8年、働く人の気持ちが理解できず辛すぎた

僕は大学院を卒業し、エイヤッ!でフリーランスになりました。独立当初に知り合った経営者たちはほとんど姿を消しています。
この自己紹介記事がこれから起業したいと考えている人、起業後がキツすぎて別のことを考えているのになぜか涙が出る人に勇気を与える記事になれば嬉しいです。

プロフィール

名古屋大学大学院を24歳で卒業し、そのままフリーのWebライターやWeb制作の活動を行う。
独立2年半後の令和元年11月11日に法人化。SEOを中心としたWebマーケティング支援の受託会社を設立。現在会社は5期目。正社員1名、常駐業務委託+パート15名。
2023年にクライアントからのアドバイスで自社で比較Webメディアを立ち上げ開始。メディアは立ち上げから11ヶ月目で黒字化、1年半で投資金額回収。

僕のルーツ:少年時代に祖父と父から学んだこと

僕が何となく将来起業する人生をイメージできたのは小学4年生ごろ。小さい頃から祖父と父の二人が経営する個人経営の会社を見て育ちました。彼らの会社では従業員が定着せず、常に新しい人が出入りしていました。本人たちは従業員を増やして会社を大きくしたいと望んでいましたが、それがうまくいかない現実を見てきました。僕はその現状を目の当たりにし、なぜ従業員が定着しないのかを考え始めました。

家族経営の裏側

祖父と父の経営する個人経営会社は、それぞれ異なる会社で建設業を営んでいましたが、共通して従業員が短期間で辞めてしまうという問題を抱えていました。僕はこのような環境で育ったため、自然と「どうすれば従業員が長く働き続けられるのか」という問いを持つようになったのと同時に、これは社長のせいで従業員が定着しないんだと小学生ながら理解していました。

少年時代の経験から学んだ教訓

祖父と父の失敗から学んだ一つの教訓は、「従業員を大切にし、彼らの働きやすい環境を作ることの重要性」です。この教訓は、私が後に自分の会社を立ち上げる際に非常に役立ちました。従業員の満足度が高ければ、彼らの生産性も向上し、結果的に会社全体の成功につながると信じています。

大学院時代の試練:成果逆算型の教授との出会い

大学院時代、名古屋大学でオックスフォード大学出身の教授と出会いました。この教授は、日本語、ドイツ語、イタリア語、フランス語を堪能に操り、若くして教授になった非常に優れた人物でした。彼は「なぜ夜遅くまで研究しているのにこれだけの成果なのか?」と常に高い成果を求める姿勢を持っていました。そのプレッシャーの中で自分の限界を超える努力を学びました。

効果的なマネジメントを学ぶ

この教授の下で研究を進めるうちに、効果的なマネジメントの重要性を学びました。教授は、学生たちに自主性を持たせる一方で、明確な目標と成果を求めました。このアプローチは、私が後に自分のビジネスでチームをマネジメントする際に大いに役立ちました。

大学院での試練

大学院時代は、私にとって試練の連続でした。特に、成果を出すことへのプレッシャーは非常に大きく、時には精神的に追い詰められることもありました。しかし、この経験があったからこそ、ビジネスの世界での困難にも立ち向かう力を得ることができました。

起業の決意:稲盛和夫との運命の出会い

高校のOB会で稲盛和夫さんと出会ったことが、私の起業の決意を固めるきっかけとなりました。彼はお酒を飲みながら鹿児島なまりで「就職はどうすっとよ」と声をかけてくれました。その温かさと魅力に触れ、「就職せずに起業します」と思わず言ってしまったのです。この瞬間から、自分のビジネスを立ち上げることを決意しました。

稲盛和夫からの教え

稲盛和夫さんとの出会いは、私にとって人生の転機となりました。彼の「人間として正しいことをする」という信念は、私のビジネス哲学の基盤となりました。彼から学んだ教えは、私がどのようにビジネスを運営し、従業員をリードするかに大きな影響を与えています。

起業の決意を固める

稲盛和夫さんとの出会いが、私の起業の決意を固める大きなきっかけとなりました。彼の言葉に触発され、「自分のビジネスを立ち上げ、成功させる」という強い意志を持つようになりました。この決意が、後に私が直面する多くの困難を乗り越える力となりました。

過去のプロジェクトや挑戦:一番キツかったのは組織化

起業したときからなんとなく「自分は将来上場し、社会の公器になるような会社をいつか作るような人間だ。これからの次代の変化を後押しするような会社を作りたい」と思っていました。同時に、そのために自分にとって一番必要なことは、一緒に働く方々の力を引き出し、チームで勝てる組織にするためのマネジメント能力が将来一番の課題になると感じていました。

組織化の試行錯誤

組織化を目指してまずは業務委託、パートという形で採用を始めました。就職をしたことが無い自分は、「誰から給料もらってると思ってるの?お客様から貰ってるのになんでお客様のこと考えて仕事しないの?」という観点でずっとブチギレてたことがあります。自分で考えて仕事を探せない人の気持ちが全く分からなかったのです。

苦労の連続

  • 働く時間も内容も自由にし、「自由に働いてもらわねば」という理由で放置し、働かない従業員のために寝ずに働く日々

  • 従業員よりも低い自分の給料で1年間働く

  • 「仕事終わったので来週一週間福岡旅行に行ってきます」と嘘をつかれ、その一週間納品されていない制作物を一人で仕上げる

  • 「すいません、本日納品予定だった原稿の制作物ですが、親が危篤状態になったのでキャンセルさせてください」と納期日に言われて赤字で別会社に特急料金を払う日々(1週間で4人ほどライターさんの親族を殺したこともあります)

  • 「今までずっと我慢してきましたがこれはモラハラです。原田さんはなんで何も言わないんですか!」と48歳が23歳に溜めてた不満爆発

  • 「あれって〇〇さんがやるんじゃないんですか?」とクライアントフォローをしなかったメンバーが他のメンバーに責任転嫁→言われたメンバーがメッセージログを取り出し「あなたがやることになっています。私のせいにしないでください」などのやり取りでメンバー間の仲が一気に悪くなる

これらはほんの一部ですが、組織化を頑張るだけで何度も涙を流したことがあります。

成長の過程で学んだこと

「業務委託やパートに会社の利益のことを考えろなんて思うのは傲慢すぎる」と思う方もいるかもしれませんが、社会人1年目の僕はこのようなことも全く分かりませんでした。

自分がいろいろな対応変化を行ってきた中で、始めてのマネージャー職になって誰もがぶつかるであろう「放置したほうがいいのか、もっと面倒を見たほうがいいのか」という悩みにもぶつかりました。そして、「個人の合計能力点数<チーム全体で出せる力」の差が組織力だと思っています。

組織の改善と成長

  • 人事評価制度の整備(業務委託に対しても報酬が上がる設計を用意)

    • 主観が影響しないよう、誰が見ても報酬UPの基準が分かるように

  • 管理会計の整備

    • 利益がいくら出ているのか、どこに経費が使われているのか分かるように

  • 採用体制の整備

    • 戦力になるまでに退職した方、活躍している方の勤務ログ、面接情報を比較し、採用基準を改善

  • 人材育成体制の整備

    • 何でもできる人を育てない。とにかく評価することとフォローすることを絞り込む

おかげさまで売上成長はとてもスロースピードです!!!笑

売上が伸びないストレスと常に戦ってきましたが、売上に直接繋がらない経費と時間を使い続け、5年間会社経営できたのは紛れもなく売上が低いときに取り組んだからだと思っています。「キャッシュがヤバければ自分がなんとか仕事を取ればいい。なんとかする。」という範囲だけでやってきました。これが悪いと思っていますし、良かったとも思っています。

この過程で学んだことは、「相手は常に今ベストな判断をする」ということです。相手がいくら情や恩を持っていると言っても、相手の環境下で一番ベストな判断を下すと常に経営者側が思っておく必要があるということです。トヨタ前社長の豊田章男さんが「いつでも転職できるような人間が、それでも転職しない会社にする」と言っていましたが、そういうことなのかなと感じます。

最後に

あくまで僕が一番キツイと思ったのが組織化であり、人によってはひもじい生活がキツイと言う人もいるかと思います。
独立した当初はお金が無さすぎて2日に1回白米だけ生活とか、マヨネーズご飯とかばかり食べる日々が続いたこともあります。
自分が食べれるだけの売上を作るのは自分でなんとかすればよく、それでも組織に投資するというのがなんともキツかったのです。

これまでWebの仕事をフリーでやってきたため、直接人と会わずに8年を過ごしてきました。
というわけで、勢いで1週間東京に来て色々刺激をもらいたいと思います!やることは何も決まってません!

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